育児

危険な夏

私はひどく驚いてしまった。
考えてみれば、それはそうなのだ。
当然のことなのだ。
先日、愛知県の小学一年生が熱射病で亡くなるという痛ましい出来事があって以来、教育現場の暑さ対策、とくに冷房設備のことが話題にされる。
たまたま見ていたテレビ番組で、ゲストのコメンテーターの女性が叫ぶ。
「教室に冷房のない学校があるなんて知らなかった!」
なにを寝ぼけたことを言っているんだろう。
一つ一つの教室にクーラーがついてるなんて、私立だけでしょ?
と、私はそのときまで本気で思っていた。
しかし、現実は違った!
寝ぼけていたのは私だった。
昨年4月の文科省の調査によれば、全国の公立小中学校の普通教室、特別教室を合わせた空調設備設置率は41.7%。
東京都の普通教室のみをみれば、実に99.9%が設置済みである。
えーっ! そうなの?
ずるい~ という言葉が口から飛び出しそうになる。
次男が通う中学は、かわいそうに、一般の教室にクーラーは一台もない。
数年前にやっとついた扇風機が、生ぬるい風を送るだけである。
校舎をどんなに強い日差しが照り付け、ねっとりと湿った不快な熱気に包まれようとも、どこにも逃げ場はない。
教室にも冷房がつけばいいのにと思い続けてはきたものの、学校とはそういうものだから仕方がないとずっとあきらめていた。
どこの学校も同じなんだと信じ切っていた。
ところが、気が付けば世の中は変わっていたのだ。
私はいったいいつの時代を生きていたんだろうという気持ちになる。

文科省は平成10年から3年に一度のペースで公立学校施設における空調設置状況を調査してきたそうである。
最新の調査が昨年、平成29年のものだ。 その報告は以下の通りである。

Photo_2
また、過去の設置状況の推移を表したグラフを見ると、ここ数年でグイグイ増加しているのがわかる。
これぞ、世の中の動きなのである。
Photo_4
因みに、都道府県別にまとめられた報告もあり、参考までに小中学校の一覧表を載せてみる。
Photo_6

都道府県別の数字を見たところで、こんなのあてにならないなぁと思うのは、同じ県の内部ですら地域によって格差が大きいという実態があるからだ。
それぞれの市区町村別の数字を見なければ、正確な状況は分からない。
結局は学校の設置者である自治体の財政状況により、必要性は感じていても、学校の空調設備にまで手が回らない厳しい現実もあるのだ。
空調の設置や維持の費用を考えると、少々国から補助金が下りたところでどうなるものでもない。
「じゃあ、あとできるのはクラウドファンディングだね」と長男などは冗談混じりに言う。
実際にそれで学校にクーラーを設置した自治体もあるらしいから、まんざら夢でもないかもしれない。
義務教育期間は全国で教育環境を統一すべきとの声もある。
資金だけのことなら、どうにかならないものなのか。
とはいえ、ない袖は振れぬという事情もわかる。

自分自身の子ども時代を思い返すと、小学校、中学校、高校まで、教室に空調設備どころか扇風機さえなかった。
夏は九月に入っても教室は暑さで蒸れ返り、だるさで息がつまった。
昨今の夏の猛暑はそれ以上である。
テレビで繰り返される「命にかかわる危険な暑さ」という言葉が決して大袈裟ではない。
毎日子どもを学校に送り出すことに、決死の覚悟が必要である。
水分補給を怠らないこと。
少しでも体調に異変を感じたら、早めに対処すること。
周囲の友達の様子にも気を配ること。
分かっているとは思っても、つい口うるさくしてしまう。
「熱中症に厳重警戒!」「激しい運動は中止しましょう」と各方面から私のスマホに通知が入るが、そんなことで部活動はなくならない。
夏休みだって、湯気が出ていそうなほど熱せられた学校へ行く。
教室にエアコンがないのだから当然、バスケ部の活動場所である体育館にだってあるわけはない。
外で活動する野球部やサッカー部、テニス部などはどうしているのだろう。
連日の猛暑で、保健室の氷も足りなくなったと次男が言っていた。
学校の先生たちだって子どもと同じ環境に身を置いて仕事をしていると思えば、信頼してお任せするしかないのだが、任せておいてほんとうに大丈夫なの!?という疑念が、むくむくと頭をもたげてくる。
自治体によっては、日中の気温が高い時間帯に活動を禁止するなど、夏休み中の部活動に制限を加えているところもあるようだが、 わが子が通う中学からは何も指示が伝わってきていない。
これまでの常識が通用しない事態であるとの認識をもって、この危険な夏を無事乗りきれるよう、どうか手段を講じていただきたい。
いつ学校に電話をしようかと、こちらは臨戦態勢である。

 

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卒業

卒業式は自分でも意外なほどあっさりしたものだった。
先日来、万感胸に迫る思いで準備してきた、次男の小学校卒業であるのに。

時間の余裕がなかったのもいけなかった。
朝、いつもの登校時間に子どもを支度させて送り出したあと、
バタバタとキッチンを片付け、自分も身支度。
思ったより手間取り、予定していた時刻より15分遅れて家を出た。
しかも、久しぶりに履いたハイヒールでは思うように歩けない。
会場に到着したときにはすでに保護者席の8割がたは埋まっていて、ビデオ撮影するのにいい席を選ぶどころではなかった。
なんとか席を確保し、多少の緊張、そしてどこかそわそわ落ち着かない気持ちのまま、開式のときを待つ。
やがて、在校生や来賓も入場、着席。
いよいよ、卒業生の入場だ。
保護者席の隙間から、カメラで子どもたちを追う。
おぉ、わが子の姿、発見!
スーツの上着はへたにサイズを直すことをやめ、あえて大きいまま着せた。
やっぱり少し大きいけど、でも、うん、いいよ!似合ってる。
なかなか、男前だわよ~ と親ばかカメラマンは心の中で叫ぶ。
しかし、それも束の間、愛しいわが子は集団の中にすっぽり隠れ、見えなくなった。
はっきり言って、入場と退場、卒業証書授与のとき以外は、わが子の姿はチラとも見えない。
あぁ、これって背の順じゃないのよね…

それでも、母はめげない。
国歌に続き校歌斉唱、卒業の歌のときも、カメラを回す。
姿は見えなくても、この集団の中にかわいいわが子がいると思うだけで、その空間すべてが愛おしい。
画面には映らない子どもたち一人一人の存在も、間違いなくこの場を構成している大事な要員。
その全員によって式場のこの空気も作り出されている。
その空気を含め、今この時にここで行われていることを映像として留めるために、なおもカメラを構え続けていると、不意に、
こうやってわが子の姿をカメラで追い回すこともこれからはなくなっていくのだろうという、また別の感慨に私はとらわれるのだった。
子どもが成長し親の手を離れていくにつれ、カメラの出番は確実に減っていく。
そんなことを考えて、目は式典に向けられていながらも、私の心はどこか遠くの異次元空間を彷徨い始めた。

式のあと、小学校最後の学級活動が終わり、子どもたちが校庭に姿を現した。
みんな記念の写真を撮り合ったり、泣いたり笑ったり、賑やかである。
そこここで繰り広げられる感動シーンの間を縫って、わが子を探す。
いた。
笑顔を向けるが、あらら? なぜかご機嫌ナナメ。
それもかなりの傾斜をつけたナナメである。
理由はわからないが、ぶすっとしてすこぶる感じが悪い。
なに?なんなの?この晴れの日にそれ?どうして?
合点がいかないけれど、その場でそれを糺して叱りつけても仕方がない。
あぁもう!と思いながらも、お世話になった担任の先生に挨拶だけはさせ、写真撮影もそこそこに学校をあとにする私たち親子。
そんなこんなで、結局子どもの卒業式という慶事に今一つ気持ちが浸りきれないまま、
私はその大事な一日を過ごしてしまったのである。

帰宅しても、次男の機嫌は直らなかった。
なにかあったのか?と夫に訊かれても、私だって皆目分からない。
そっとしておくしかないわね と私が言い、そうだな と夫も言う。
せっかくの卒業式なのに…という言葉が口から出そうになるのを飲み込んで、素知らぬふうで夕食の準備を始めた。
ところが、振り向くと、いつからそこにいたのか、ダイニングに次男がいる。
次男がいつものように、いや、いつもに増して機嫌のよさを漂わせている。
え?と思い、もう一度顔を見ると…
笑ってる!coldsweats02
あれ~???
原因不明の不機嫌は、いつの間にか予告なく、ケロリと直ってしまっていた。
鼻歌さえ口ずさむその様子は、先ほどまでとは別人のよう。
それを見てほっとしたのも事実だが、あまりと言えばあまりの身勝手さに呆れてしまう。
ほんとにもう、どうなっているんだろう。

その謎は翌日になって解明された。
次男とのやり取りの中で分かったのだが、大切な友達と仲直りをしたんだそうだ。
実は次男、一年生のときからの仲良し四人組のうちの一人と、ずいぶん長いこと仲違いをしていたのだ。
5年生の冬からだから、もうまる一年余りになる。
ほかの二人よりも頻繁に行動を共にし、一番の友達と思っていたその子。ケンちゃん。
あることがきっかけで猛烈に怒った次男は、そのときからケンちゃんとの一切の付き合いを断った。
それを知ったケンちゃんも、決して自分からは謝らなかった。
冷戦状態のまま、二人は6年生に進級し、初めて同じクラスになった。
同じ教室で一年間、互いに口をきくこともなく過ごし、そして卒業の日を迎えた。
どうせそのうち、いつものように仲直りするんでしょ と軽く考えていた親たちの予想は完全に裏切られ、もう二人の関係が修復することはないのだと思われた。
それが。
いともあっさりと。
「ごめん」
「いいよ」
たったそれだけのLINEメッセージで、凍り付いた二人の関係はきれいにとけてしまったのだ。

そうなるならそうなるで、そんなに簡単なことならば、なぜもっと早くに仲直りできなかったのか。
でも、分かる。
仲がいいからこそ、言えないこと。
仲がいいからこそ、許せないこと。
あるよね、そういうこと。
精一杯張った意地を引っ込めるにも、時間がかかる。
思っていることを実行に移すにも、きっかけが必要で、
なにより勇気がいる。

晴れ晴れとした次男の表情に、私の目にもようやく涙がにじむ。
次男は今、小学校時代最後の課題をやり遂げ、新しい門出を迎えた。
長い長い冬は去って、春がやって来たのだ。

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子どもとスマホ

あれだけ愛用していた任天堂3DSもこの頃はそっちのけの次男、このひと月はスマホに夢中である。
なるほど、夕方5時台から6時台、それに寝る前の9時台はLINEの通知も鳴りっぱなし。
とても楽しそうである。

学校の友達とは学校で毎日顔を合わせているにもかかわらず、
帰って来てからもまだ話がしたいわけ?
そんなに内容のある会話が飛び交っているとも思えないけど?
と思わないでもないのであるが、LINEで話すということが楽しいのも少し分かる。
学校というリアル社会の中での関わりとはまた別の次元でつながるというのは、特別な感じがしてワクワクするし、親密さも増す。
表向きの付き合いと、ネットでの付き合いと、その二つは一致するようで完全には一致せず、微妙な二重構造になっている。
ま、そこでのやりとりが健全なものであるならば、そう目くじらを立てることでもない。
しかし、今どきの子どもは、交友関係も複雑なんだなぁと改めて思う。

次男を見ている限り、よくトラブルとして持ち上がってくるような問題は今のところない。
いつLINEが入るか気が気じゃなくてスマホを肌身離さず持ち歩くということは全くないし、既読スルーだってしてもされても問題ナシ。
チェーンメールが回ってきても、なにが面白いわけ?と平然と無視している。
友達登録してきた子がいても、もったいつけてこちらは友達に登録しなかったりするのには、角が立つのではないかと親の方が心配したが、
でも、卒業が目前に迫ってきた今は、友達登録してくれた子はみんな、友達に登録したようだ。やっぱ、そうよね、ふつう。
スマホを持つまではこうした交流の輪に加わることはなかったし、
それが絶対に必要なものかと言われればそうではないのだと思う。
ただ、スマホを持っていないからと言って学校で一人ぼっちになるわけじゃないとしても、やっぱり子どもたちにとってスマホが交友関係の中で大きなウェイトを占めてくる事実は、どうにも動かしがたいんだと思う。
LINEアプリ一つをとっても、良い方に機能すればこれほど楽しいアプリはないと思うが、
場合によってはそれに縛られ、悩む子どもも出てくるのは想像に難くない。
LINEが当事者以外の他人の目に触れにくく、いじめの温床になりやすいということも、周囲の大人がよく認識する必要は大いにある。

しかし、思い返せば去年の今ごろは友人関係に悩んだ時期で、人間不信に陥ったかのようにネガティブな発言ばかりしていた次男だった。
一時はとても心配していたが、今は新たに友と信頼を築き、毎日充実しているようだ。
そんな姿を見るにつけ、こちらも安堵し、嬉しい気持ちでいっぱいになる。
LINEでもなんでも、やりなさいよって気持ちになってしまうのだ。

わが家の場合、次男がLINEを始めてから私が目くじらを立てたことは、実は別のところにあった。
スタンプである。
初めのうちは、あちこちの公式アカウントを友達に登録したりして、無料スタンプを集めていた次男であるが、有料スタンプを買いたいと言いだした。
LINEアプリで購入できるものはオンライン上でコインを購入しての決済方法しか選べないようだが、LINEストアというサイトからならコンビニなどで販売されているプリペイドカードが使えるので、現金での購入が可能だ。
持っているおこづかいでカードを買ってくるというので、好きなようにさせた私。
どうせ1000円分のカードを購入するんだろうと高を括っていたのだが、なにを思ったか次男、3000円のカードを買ってきたのである!

カードに付されたPINコードを登録すると、LINEの自分のアカウントに購入金額がチャージされ、スタンプや着せ替えを買うことができるようになる。
そのチャージをしようとする過程で安心アクセスにブロックされ、次男が私に助けを求めてきたことで、それは発覚した。
「ちょっと!スタンプ買うだけに3000円て、なに考えてんの!!」
スタンプひとつの価格は、120円か、高くて240円である。
「1000円のカードが売り切れてたとか?」
「売ってました」
「じゃあ、3000円もスタンプ買おうと思ったの?」
「・・・ごめんなさい(>_<)sweat01
この子の金銭感覚、どうなっているんだろうという心配よりも
怒りが心頭に発する私。
「とにかく、このカードは一旦預かります。安心アクセスはそんなに簡単に解除できません!」

因みに、安心アクセスというのはauの子ども向けフィルタリングサービスで、つい最近、あんしんフィルターという名称に変わった。
このアプリを子どものスマホに設定しておけば、年齢に応じたフィルタリングをしてくれる。
電話の発着信の制限や、使用時間の制限、利用できるアプリの制限や有害サイトのブロックまで、一通り網羅しているので、親としてはかなり安心できる。
年齢別の標準の設定から、個別に特定のアプリを制限したり、あるいは許可に変更したりすることもできるので、使い勝手はいいと思う。
次男の場合はちょっとフライングで中学生の設定にしたが、ゲームや動画視聴(*)、支払いの発生することなどはすべて制限される。*訂正します。制限がかかるのはアプリのため、例えばYouTubeアプリは使用できなくても、ブラウザから動画を再生はできてしまいます(^^;)
ゲームの場合、ダウンロードはできるので取りあえず入れてみても、いざプレイしようとすると制限がかかるため、その度に私に「お願い~」とすり寄ってくることになる。
以前から私のタブレットでやっていたモンストと、ツムツムだけは、許可にしてあげた。
子どもにスマホを持たせるなら、フィルタリングは必須だ。
今回も、この安心アクセスがいい仕事をしてくれたおかげで、
次男の企て(?)は未遂に終わったのである。

とは言っても、どうするかな~、この3000円…
カードのPINコードの部分も削ってしまっているし、返品はできない。
かと言って、そのまま破棄っていうのももったいない!
それをそのまま次男に使わせるっていうのも示しがつかないし。
で、ひねり出した解決策は、私のLINEにチャージするということ。
そして、必要に応じて私がスタンプを購入し、次男にプレゼントする。
LINEスタンプは自分で購入するほか、友達になっているだれかに贈ることもできるのだ。
それなら、安心アクセスの設定を変えずに、次男もほしいスタンプを入手できる。
も~、私って天才!happy02
こうして、この一件は落着し、すべて丸く治まった。
おかげで私も、キジオに酷似した猫のスタンプを購入し、
楽しいLINEライフを送っている。

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これも時代の波

とうとう買ってしまった。
6年生の次男がずーっとほしがっていたもの。
スマートフォン。
スマホといったら、電話という本来の機能などおまけのようなもので、インターネットという夢の世界への入り口。
ドラえもんの四次元ポケットのようなものだから、子どもだってほしいのも当たり前。
持っていてくれたら外でも連絡が取れ、親の側も便利である。
しかし、子どもにスマホを持たせるというのは、親にとってかなり勇気のいる決断だ。
長男のときだって、高校受験が終わるまで我慢させた。
周りの友達もかなりの確率でガラケーを持っていた時代。
いよいよ中学卒業が近づき、ケータイを持たせようと思ったら
既にスマホが普及していて、
え?そうなの?いきなりスマホなの?と慌てた私。
長男にスマホを持たせたのと同時期に、私もガラケーからスマホに切り替えた。
まず自分が使ってみなくちゃ、子どもにどう使わせていいかわからないもの。
わが家にはこれまでそんな経緯があって、だから次男にも
スマホは高校生からと言い聞かせてきた。
だが、時代の動きは早い。
どんどん変化していく。
今や小学生だってスマホは当たり前のツールになりつつある。
中学に入ったら、次男もやっぱりスマホがいるんだろうなぁ…
でも同じ年頃にずっと辛抱させた長男の手前もあるし、
ネットトラブルの心配だってある。
どうしたもんかなぁと思っていたら、その長男が言う。
「心配だからってただ禁止して、なにもやらせないっていうんじゃダメなんだよ」
じゃ、中学から持たせてもいいと思う?
アナタは高校まで待ったのに?
「別にいいんじゃね? だってそういう世の中だし」
なんと大人な発言でしょうshine
たしかに、それが今じゃないとしても、いずれは次男にもスマホを持たせることにはなる。
どうせ持たせるのだったら、思春期の泥沼にずぶずぶと足を踏み入れた、親にとっては扱いにくい時期になってからよりも、まだ親の干渉を素直に受け入れてくれる今の方がいいのかもしれない。
親がしっかり関わって、スマホの使い方や安全なネットの利用方法を覚えさせ、ルールを作ることが大切なのだ。
かくして、長男の言葉に背中を押されるように、私は心を決めたのだった。

しかし、物事には“きっかけ”というものが必要である。
何もないのに、今までダメと言い続けてきたことを急に許可するのは、たいへん不自然であるからして、私はそのきっかけとなるものを探した。
なにかの目標をひとつクリアしたら というのが望ましいと思った。
そうしたら、ちょうどいい具合に、ひと月ほど先に少林寺拳法の昇段試験の予定があったのを思い出した。
それまでの昇級試験と違い、初段を受けるということになると、さすがにちょっとハードルが上がる。
ここはひとつ、気合を入れさせるためにもちょうどいいのかもしれない。
鼻先にぶらさげられたにんじん。
それがスマホ。

そんなこんなで瞬く間に時は流れ、とうとう昇段試験が2日後に迫った日。
次男にピンチが訪れた。
予期せぬ体調不良である。またしても というか(^^;)
その日は朝から喉が痛いと言っていたが、下校後は全身の倦怠感に包まれながら帰宅した。
熱を測ると37℃。微熱。
まさかインフルエンザ!?coldsweats02
そうだったら試験はアウトだわ・・・shock
仕方ないけど~sad
かわいそうだけど~despair
でも、ここに来てこの展開?think
半ばあきらめの境地で次男の様子を見守るも、
熱はそれ以上上がる気配はなく、本人も、ゼッタイ治る!治らなくてもゼッタイ受ける!とがんばっている。まさかスマホのためじゃないでしょーねー( ̄д ̄)
翌日を待って受診し、インフルエンザの検査は陰性だった。
周囲のたくさんの大人たちに心配をかけつつも、次男はギリギリ試験当日の朝平熱に戻って試験会場へと向かい、夕方には合格の知らせとともに帰ってきた。
やれやれ。
ほんとに運がいいんだかわるいんだか。

とにかく無事、当初の目標を達成し、スマホを手にした次男である。
購入に当たっては、保護者による使用制限を加えること、使える時間帯も制限されることを前提としているので、やりたいことができなくても今のところ不満の声は上がっていない。
だけど、あまりになんにもできない設定になっているので、YouTubeだけは見られることにした。
今後、状況を見ながら、何をどの程度許可していくかが焦点だなーと思っているが、当面はLINEが使えたらそれで満足のようである。

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幸せな悩み

以前に長男が小学校の卒業式に着たスーツをタンスから引っ張り出し、ぼんやりと眺めている。
どうしようかな と思いながら眺めている。
身長が合わないのだ。
あと二か月足らずで、次男も卒業式だ。
どうせ一度しか着る予定はないんだし、なんとか体に合うようにお直しして使うか。
でもせっかくの晴れの日に間に合わせの服というのもねぇ…
心の中のつぶやきは、さっきからずっと同じところを行ったり来たり。
考えがまとまらないまま、ただ目は人形のように吊り下げられた服を見ている。
 ぼくはただ見てる
 それをただ見つめてる
 鬼たちも笑う
 それをただ見つめている

PCの中の星野源が歌う。
私はチョコレートを一粒口に放り込み、なおもその黒の三つ揃えを見つめ、黙って鬼に笑われている。

そこへ当の次男が帰宅したので、私はおもむろに上着をハンガーから外し、スウェットパーカーの上から軽くはおらせてみる。
うん、袖、長い。
着丈も、長い。
でも思ったよりもぶかぶかではなかった。
「これでいいよ」と次男は言う。
そうだねっていう気になる。

このところ、私の気分は混沌としている。
実はこの年末年始を挟んで、父が入院していた。
さほど心配な病状ではなく、すでに退院もしている。
ただ、その間家に一人で過ごしていた母のことが気になった。
母は元来よく気が回り、明るくよくしゃべる人である。
そして、父の入院している間、母は普段にも増して饒舌で、忙しく過ごしているようだった。
電話をしても、会いに行っても、母はとても元気だった。
そんな母に接し、私は安心すると同時に少し心配になった。
母は意識下にも不安や寂しさと戦っている、そんな臨戦態勢にあるのではなかろうか。
父が退院し、いつもの日常が戻っても、時が後戻りするわけではない。
父も母も老いていく。
そう思うと、なんとも切ない思いがこみ上げる。

朝ドラ『べっぴんさん』で、江波杏子扮するジャズ喫茶の女主人が言っていた。
まさかこうして一人で生きていくことになるなんて。
女の一生なんて、分からないものだと。
人生を語るのに男も女もないと思うが、そんなセリフがやけにずっしりと響いてくる。
もし私が突然天涯孤独の身になったら。
脈絡もない空想の中で思う。
電球が切れても交換の仕方すらおぼつかない私が、一人で生きていくなんてできるんだろうか。
自分自身の不甲斐なさに打ちのめされながらも、改めて目の前のスーツを見やる。
本当に、子どもの卒業式の服のことで悩むことくらい幸せな悩みはないんだと思う。

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年末年始 雑感

年末の一連のバタクタを経て、新年を迎えた。
年が明けるということは、一つの大きな区切り。
そう思うからこそ、大忙しの年の瀬なのであり、
準備万端で迎えるからこそ、お正月を過ごす慶びもひとしおなのである。

とは言うものの、店も元日から初売りの始まるこの時代。
なにも大晦日に慌てて食料品を買いだめしなくたっていいのよねぇ
と毎年思う。
だけど、年末にあれやこれやと必要以上の買い物をすることも、
主婦の気分を高揚させる一つの要件になっている以上、
やめるわけにはいかない。

大掃除にしてもだ。
たかだか31日が、一日たって1日になるだけじゃないの
と思えばなにも、殺気立って家中を掃除してまわる必要などない。
いつも通りだって別にどうってことないのだ。
しかし、放っておけばダラっとしてしまう私のような怠け者には
こういうイベント的な要素は必要だ。
メリハリのない生活はきっと私という人間を腐らせる。
そうよ、新しい年を迎えるために身辺を清め、心機一転、仕切り直すのよ!
てなわけで、子どもたちも巻き込んでの大掃除大作戦が、この年末も繰り広げられたのだった。

そして待望の三箇日。
私はカシューナッツをつまみながらお屠蘇の盃を傾け、いつになく大きな満足感に浸った。
世の中がどう変わっても、やっぱりこのバタバタからのまったりという気分の大きな転換はお正月に欠かせない。

お正月準備といっても、本格的なおせち料理の用意はしないわが家である。
朝のお雑煮と、多めに作ったおしるこ。
買い込んだ食材を代わる代わる食卓に並べながらも、数の子と黒豆、かぶの酢の物、それに田作りだけは切らさない。
わが家のお正月はそんな感じである。
わが家というより、私の かな。
自分の好みと家族の需要を考慮した結果、こんなふうにまとまってきた。
嫁として義母の流儀を受け継ぐという要素は、ない。
だって、義母ときたら、「あら、このタケノコ、缶詰め?」なんて真面目に言う人だもの。
タケノコの水煮が真空パックされて一年中売っていることすら知らない人。
年末になると、それがスーパーで山積みされて売っているのも見たことない人。
これまでどうやって生きてきたんだろう。
さっぱり頼りにならない人。

おぉーっといけない、話題を変えよう。
正月早々お年玉を手にした次男、早速買い物に出かけた。
今年初の買い物は、ドラゴンボールヒーローズというゲームのライセンスカード。
先月おねだりされたが、私がダメと言ったもの。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
やっぱりねー、とうとう買ったか。
次男には6年生になっても未だ、月々定額のおこづかいをあげていない。
高学年になったらと言っていたおこづかい制度だが、なんとなく延ばし延ばしになって現在に至っている。
もし既におこづかい制度を導入していて、毎月自由になるお金があるのだとしたら、そのカードはとっくのとうに手に入れていたに違いない。
親がいくら反対したって、ほしいものはほしい。
ま、仕方ないか。
でもあんまり、ゲームにお金をつぎ込むんじゃないよ と釘だけは刺しておく。
そんなの分かってるよ と本人は言うものの、その言葉をそのまま信じていいのかしら。
今一つ、信用のおけないところだが、いよいよ春からは中学に上がる次男。
おこづかい制度のこともいいかげん先延ばしにはできなくなった。
今年は本当に考えなくちゃ。
そんなことを思いながら、これから一年の間に起こりそうなあれこれを想像してみる。

大人になっての一年に比べ、子どもにとっての一年は大きい。
それこそどんどん変わっていく。
そういう時間の積み重ねがどれほど貴重なかけがえのないものか。
私自身、子どものときにはそれを全く意識しなかったように、
おそらく息子も全く気付いていないだろうけれど。
過干渉にならないことを心掛けながら、見守っていきたい母である。
しかし本当に我ながら、末っ子にはつい過保護になってしまっていけない。

そうそう、そういえば。
この年末に変わったことがひとつ。
例のごみ置き場に放置されていた仏壇こちらの記事に記載あり)が、とうとうあの場からなくなった。
ごみとして回収されていったのか、あるいはそのごみ置き場の管理者がなんらかの手段を講じたのか、消息は不明だが、
とにかく年越しを前にあの朽ちた仏壇はしかるべき場所へ運ばれ処分されたのである。
やはり、年が改まるタイミングというものは、過去に一切のケリをつけるときであるようだ。

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憂鬱な気分と子どもの遊び

窓からは日差しがふりそそぎ、穏やかな日曜日である。
しかし、いいお天気とは裏腹にどこか気分がのらない私。
せっかくのお出かけ日和も、なんの予定も入れずにだらだらと過ごしている。
このところの私はずっとこんなふう。
師走の声を聞き、頭の中にはやらねばならないことがいくつもリストアップされているが、どれひとつ手を付ける気にならない。
早く取りかからないと後で自分がたいへんになることも分かっているし、そうなったときには今この瞬間に重い腰をあげるよりもより苦しい思いをするのも分かっているのに、
それでもこうして、取りあえずブログの更新を優先してしまう私なのである。

ここ一週間を振り返ってテンションの上がったことといったら、
数日前に15歳のお誕生日を迎えられたという愛子さまのニュースをぼんやり見ていたときである。
体調を崩されたせいなのか、ずいぶんとほっそりされた愛子さまが座っていらっしゃる映像が流れる。
そのお膝には、ネコ。
あら?ちょっとー!!
愛子さまのにゃんこ、キジオに似ているじゃないの~sign01
ほらほら、顔のところの柄の入り方とか、そっくり~~~lovely
などと言って、ひとしきり騒いでいたことしか思い浮かばない。
お昼ごはん用にと買っておいた中村屋の肉まんあんまんの徳用袋に貼られた懸賞の応募シールも、躊躇なくゴミ箱に捨てている自分に気付き、どれだけ気持ちがふさぎ込んでしまっているかを改めて自覚するに至ったのである。
あー、いかんなぁ…
なんでこうもやる気が出ないのかしら?
これってまさか、いわゆるプチ鬱状態?
ま、そんな大げさなものじゃないわよね…と一人ブツブツつぶやく私。
新しく購入し、セットアップされるのをじっと待っているPC用プリンターの箱を前に、今日も悶々とそれをしない言い訳を考えているのである。

そんな私、昨日は次男を連れて買い物に出た。
思えばそんなことも久しぶりである。
いつまでも甘えん坊の次男ではあるが、このごろではさっぱり、
親の買い物になど付き合わなくなっていた。
どうやら私が出向こうとしている大型スーパーマーケットの子供用品の階にある、ドラゴンボールヒーローズというゲーム機がお目当てのようである。
1回100円で遊べるというアーケードゲームだということ以外、そういったことに疎い私にはよく分からないのであるが、子どもたちの間では人気があるらしい。
親の知らないところで、子どもは面白そうなものに嗅覚を働かせる。
聞けば、友達同士でこれまでにもその店によく出入りしているらしい。
まぁ、ゲームセンターなどでなく、スーパーマーケットの一角にあるということも、安心して遊べる理由になっているのだろうけれど。
たまにはまぁいいかと思い、軽い気持ちで百円玉2枚を次男の手に握らせ、私は同じ階の文具売り場へ向かう。
売り場を一回りして年賀状書きのためのペンを購入し、さきほどのゲームコーナーに戻ってみて驚いた。
さっきは子どもがパラパラしかいなかったその場所に、ちょっとした人だかりができている。
しかも見覚えのある顔ぶれ。
次男の学校の同級生たちだった。
なに、ここ、あんたたちのたまり場なの?coldsweats01
しばらく次男の横に立ち一緒にゲームを覗いていたが、中にはすごい量のカードを持っている子もいて、いかにも手慣れたふうに遊んでいる。
これが今の子どもの遊び方なんだろうか。
まぁ、数人で集まっては携帯ゲーム機で遊ぶ姿はよく目にするし、本人たちはそれとさほど変わらない意識でやっているのだろうけれど。
そういえば、もう10年以上前のことだが、長男が小さいころに
ムシキングというアーケードゲームが流行って、何度か私も付き合ったことがある。
そのときも、少し大きい小学生の子たちは、分厚いカードの束を持ってゲーム機に群がっていたっけなー…
そのころは、1回100円を使って画面の中の虫を戦わせ、カードを一枚お土産に持って帰ればそれで満足だったが、今のは違う。
なんでも、ヒーローライセンスとかいうカードが600円ちょっとで販売されていて、それを使うと対戦内容をセーブでき、経験値をためてレベルアップとかなんとかかんとか?
よくわからないが、要するに継続してこのゲームを遊ばせようとする仕掛けになっているのである。
そして、そのライセンスなるカードのお試し版がその店で無料配布された折に、次男はすかさずもらいに行っていて持っていたのであるが、使用期限が切れたかなんかで今は使えなくなっているんだとか。
えーっ、いつのまに!?
そんなの持ってるなんて、知らなかったーcoldsweats02
え?新しいの買ってくれって?
やーよgawk
いくら1回100円でも、子どものうちからお金を使って遊ぶなんて!
あのとき次男とともにゲーム機の周りに集まっていた子たちは、
いったいいくらお小遣いをもらって来ているのだろう。
あのゲームひとつに、総額いくらつぎ込んでいるんだろう。
そう考えながら、首元が寒くなる思いを抱え、店を後にした私である。

思春期にさしかかった子どもは親と距離を置きたがるものだが、
たまにはこうして行動を共にしてみるのもひとつである。
お昼ごはん買って食べるから、お金ちょうだいなどと言われても、
これからは簡単にお金を渡すまいと、
ただでさえブルーな気分に染まっている私は、心を鬼にしているのである。

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息子のともだち

去年の今ごろは毎日のように友達と遊び歩いていた次男である。
6年生になった今、少し気難しい時期に入ったのか、自分から遊びに行くことがほぼなくなった。
下校してから遊びに出かけたところでまたすぐ帰らなくてはならないので、それでも行こうと思うほどの気持ちがなくなっているらしい。
そのかわり、友達のほうがわが家に押しかけて来ることが度々ある。
初めは、え…gawkなどと言いつつ、遊びに来られればまんざらでもないふうの次男。
自分の部屋に友を招き入れ、見れば楽しそうである。
机とベッドが全体の半分を占めるような狭い部屋に、多いときは5人ほどの男子が身を寄せ合っている。
小学生といえど、ムサいぞ!(笑)
でもまぁ、「誰とも遊ばない」なんて一人でゲームしているより、
友達に囲まれたわが子を見る方が親としては安心できる。

先日の台風13号が接近した日。
大雨による被害が懸念されて、このあたりも学校は臨時休校となった。
その前日、いつもの感じで遊びに来ていた子が、明日また来てもいいかと言う。
台風なんだからムリでしょ、それで学校もお休みなんだからと言っておいたが、あーこれは絶対来るなぁ(^-^;という予感があった。
思った通り、翌日10時ごろ、TくんとYくんという二人がやって来た。
雨がこのあとどうなるのか、帰り道の心配がチラッと脳裏をよぎったけれど、ま、仕方ない。
家に上がってもらう。
しばらく遊んだところで、お昼はどうするのか訊くと、
二人ともコンビニに買いに行くと言うので、
雨も心配だし何でもよければうちで食べなさいよと私が言い、
そうすることになった。
とはいえ、買い物もしていなくて、子どもの好きそうなものなんてなんにもないわ…( ̄◆ ̄;) ←我が子のことは問題外
困ったなーと戸棚をあさり、そうめんを茹でることにした。
カレー味のめんつゆもあるから、それなら食べるでしょ。
準備が整ってテーブルについた彼らは、遠慮がちながら、私が用意した食事を残さず食べてくれた。
あ、一つだけ残したものがあったんだった。
それは大葉。青いシソの葉。
野菜が足りないと思い、冷蔵庫を探したらそれがあったので、
ボイルしたウィンナーにくるっと巻いて楊枝を刺しておいたのだ。
わが家では定番の食べ方なのだが、彼らにはシソは食べ慣れないものだったようだ。
こわごわと少しかじってみるが、ビミョーな顔つき。
苦手だったら残していいのよ!coldsweats01 と慌てて言うと、
申し訳なさそうに残す二人。
そうか、小学生の男の子はシソの葉なんて食べないのね と私も一つ、勉強になった。
そういう私だって男の子の親なのだけど、
うちの子たちは小さい頃から食べつけていて、抵抗がないのだ。
長男などは小さいころからシソ以外にもショウガやミョウガ、銀杏なんかも大好きというシブい味覚の持ち主で、次男もほぼそれに準じている。
でもそれは一般的ではないようだ。 ←それはそうだわね
子どもの友達に食事を出すという機会はそう多くあるわけではないけれど、
たまには面白いものだと思った。
彼らにしてもそうだろう。
自分の家で食べているいつもの食事とはちょっと違うものが出たり、お客さんの真似ごとをしてごはんを食べたりというのも、いい経験だ。
よその家に行くのも勉強ってよく言うものconfident

いつもは次男の部屋で遊ぶだけなので、そんなにゆっくり彼らを観察したことがなかったが、その日はTくんとYくんをけっこうじっくり見ることができた。←え?別にコワくないわよー
身体の大きいTくんはさぞかし食べるんだろうと思ったが、
意外にもYくんの方がたくさん食べてくれた。
そうめんは好きというYくんは、ふつうのめんつゆとカレーのめんつゆを両方使い、デザートの果物もたくさん食べてくれた。
なんて気持ちのいい子なんでしょうhappy02heart04 ←Yくん株、急上昇~
そして、Tくんに対しても私には驚きの発見があった。
これまでTくんのことは、奔放で気ままな子という印象を持っていた。
実際、次男からはTくんのかなり強引で無鉄砲なエピソードを聞かされていた。
でもその日、食卓でそうめんをつつくTくんには、思いのほか周囲に気を使う様子が見て取れ、とても好感が持てたのである。
Tくんて、なんだ、いい子なんじゃな~い!happy02heart04 ←Tくん株も急上昇~
てなことで、かわいいわが子の友達は、やっぱりかわいく思うのである。

そしてたっぷり遊んだ彼らは、夕方それぞれの家に帰って行った。
早朝に台風は温帯低気圧に変わったとはいえ大雨が警戒されたその日、一日を通して雨が降ったり止んだり、時折り激しく降ることもあったその日、行きも帰りも雨に降られることは一切なかった。
なんという強運sign01smile

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帰省

8月も下旬に入り、長い夏休みの終盤にさしかかると
子どもだけでなく親のほうも相当気持ちがダレてくる。
学校がある日常の感覚は遠く忘れ去られ、
じっとりと重い夏の空気に包まれながら、台風の渦巻きが描かれたテレビ画面の天気図をぼんやりと見やる。
日曜日、次男を迎えに行こうと思っているけれど
雨は大丈夫かしら?

次男は今、私の実家に行っている。
ずっと楽しみにしていたお泊まりだ。
そのためにがんばって宿題も終わらせた。
なので、親としては気持ちの上で楽である。
自宅でほかの家族のために家事はしなくてはならないが、
それでも家の中に小学生がいるといないでは全く気持ちの張り具合が違うのである。
おかげで、次男不在の静かな自宅で、私は思いきりダレていられるのだ。

行きは両親の顔を見がてら、私も同行して二晩ほど泊まってきた。
電車で約2時間だから、日帰りの往復も可能な距離である。
だから帰りは迎えに行ったその日にとんぼ返りする。
そろそろ次男に一人旅をさせてみてもいい頃だとは思うものの
なんとなく心配で、また、私自身このごろは実家に顔を出す機会もめっきり少なくなっているし、
それで、まぁいい機会だからと重い腰を上げるのである。

数日前に私が実家を訪れたのは、前回の滞在からはちょうど一年ぶりだった。
母は長いこと続けてきた書道の関係の会合で相変わらず忙しくはしているし、家族のために買い物に行き台所にも立ち、立派に主婦業もこなしている。
父は気ままな暮らしの中にも趣味や地域の活動に充実した日々を送っている。
しかし、三日間一緒に過ごしてみると、やはり以前とは違ってきていることは否めない。
外で短時間会っただけでは気付けない、いろいろな変化が見て取れた。
両親はともに80を過ぎている。
仕方あるまい。
だれだって年を取るんだもの、変わっていくのは当たり前。
幸い、変化はゆっくりなほうだと思うが、
いくら元気だと言っても、これからはなるべく実家に行く機会を作り、両親の暮らしぶりについて私も目を配らなくては。
いろいろ思うことの多い滞在となった。

一方、そんな私の思いを知るよしもない次男は全くお構いなしである。
祖父母というのは孫にとって無条件に甘えられる人たちであり、
祖父母の家はわがままが許される場所である。
次男が行けば近くに住む同じ年のいとこもやって来て、必ずや二人は向かうところ敵なしの最強コンビを組むこととなる。
どういうわけか、彼らはたまにしか会わないのに、いつでもとても気が合っている。
ケンカなんかしたことがない。
どちらかがなにかを我慢しているなんていう場面も見たことがないし、あるとすれば別れがつらくてしょんぼりしていたことくらいだ。
お互い6年生となったこの夏も、彼らは子犬のようにじゃれ合っていた。
幼いときからしてきたように、体をぶつけ合って遊んでも決してケンカになることはない。
ケガをしないうちに止めなさいと、周りの大人たちがいくら言っても聞かず、
目が合えば笑みを交わし、言葉さえも必要としない二人。
これがオレたちの流儀だと言わんばかりに、ただひたすらに戯れる。
まるで、もとはひとつだった半分と半分が、自分の片割れを見つけて引き寄せ合うような、二人の間には引力みたいなものを感じる。
友達とも兄弟とも違う、彼らのつながりを私はいつも不思議に思う。

次男とそのいとこ、つまり私から見れば甥であるが、二人は誕生日も近い。
次男が生まれて二週間ほどして甥が生まれ、二人は同じやぎ座である。
しかし同じ星座の生まれで同じ学年であっても、彼らは干支が違っている。
次男が生まれたのが年末で、甥が生まれるまでの間に年が明けてしまったからだ。
赤ちゃんのころによくしたしぐさが同じだったり、離れていてもシンクロすることの多かった二人。
同じ時期にマタニティ期間を過ごした私と義姉にしてみたら、二人の干支が違っていることのほうが違和感を感じるのだが、
でもその違いが、二人が違う人間であることの証として、それぞれの独自性を主張しているようにも思えてくる。
そうしないと、見分けがつかないほど同質な存在とでもいうか…
あー、なに言ってんだろ。わけわかんないcoldsweats01
えー。 コホン。
とにかく、どこか謎めいた因縁を感じさせる二人… ってことなのである。

私が自宅に戻ってからはいよいよ、彼らは二人して祖父母宅に君臨し、思いつく限りの遊びを繰り広げているのだろう。
それを呆れつつも喜びとしている私の父、母。
来春には中学に進む二人を「こんなことも今年までよ」と母は言うけれど。
実家に帰れば「娘」に戻るわが身を振り返るに、
彼らが二人そろうときにはきっといつまでも同じ空気がよみがえるような気がしてならない。

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作文の思い出 (2)

作文といえばもう一つ思い出すのが、長男の作文の宿題である。
今は高校生の長男がまだ小学3年生のとき、2~3ヵ月に亘って毎週金曜日に作文の宿題が出たことがあった。
テーマは自由、たしか原稿用紙2枚程度の作文を翌月曜日までに書いてくるという宿題だ。
これには全く、ひどい目にあった。
要領のいい子どもならなんということもない宿題なのかもしれないが、私同様に作文が大の苦手だった長男は週末になると頭を抱えていたのだった。
初めはそんなに毎週宿題が出るとは思っていなかったので、なんとか書き上げた作文を学校に持たせ、私もやれやれと肩の荷を下ろしたのだが、
ホッとするのも束の間、また金曜日が来ると同じ宿題が出される。
その頃は金曜日のたびに、
「え?またなの?」
「今週もなの?」
「また作文の宿題あるんだよね…」
暗い顔でうなだれる長男とともに、私までどんよりsweat02

習うより慣れよということだったのだと思う。
難しく考えなくても、思いついたことを好きに書けばいい。
数をこなしていくうちに、文を書くコツも分かってくるだろうし、
毎週書くのだと思えば普段の生活の中で題材を探そうとする目が養われ、自然とものごとを深く考えるようにもなる。
きっと先生の狙いはそんなところにあったのだろう。
そうは思っても、現実には作文嫌いの子どもにとって、毎週の宿題は拷問に等しい。
理想的な筋書き通りにはいかないのである。

そうやって、作文に縛り付けられる週末がしばらく続いた。
なにか題材にできるような目立った出来事があるときは、けっこうすんなり書くのであるが、書くことが思い浮かばないときの苦痛なこと!
それでも長男はがんばっていた。
白い原稿用紙の前で、机にかじりついて、がんばっていた。
なにかヒントになればと思い、こんなのはどう?あんなのは?と提案してみても、長男は「う~ん…」と唸っているだけ。
自分の中から出て来るものでなくては、文章に起こすのは難しいようだった。

その宿題さえなければ自由に楽しく過ごせるはずだった休日。
それと引き換えにするほどの価値が、作文にあるのだろうか。
書く力の重要性は理解しているつもりの私である。
もちろん、回数を重ねることで伸びてくる子もいるだろう。
しかし、作文に休日のすべてを費やし、苦しい思いをしていた長男を見ていると、3年生の子どもにただ書くことを無理強いするより、ほかになすべきことがあるようにも思われた。

作文の宿題が始まって、5、6週間たったころだろうか。
土曜日、日曜日と二日間机に向かっても、まるっきり書けない週があった。
あまりにもつらそうで見るに忍びなくなった私は、今週は宿題を休もうと長男に言った。
「お母さんがそう言ったって、先生に言ってもいいから。」
と、そう言ったが、ガンとして聞かない長男。
クラスのほかの子たちはどうなんだろうと思い訊いてみると、提出していない子もけっこういるらしい。
「じゃあ、なおさらだよ。これまで毎回出してきたんだし、一回休もうよ。」
いつもなら絶対に言わないような私の言葉にも首を縦には振らない長男。
頑固だcoldsweats01 偉かったけどcoldsweats01
そして、その日は夜遅くまでかかって、とうとう作文を書き上げたのだった。

翌月曜日、長男が学校から帰ると私は真っ先に言った。
「どうだった?作文、出した?」
すると、思いもよらない答えが返ってきた。
書いて来なかった子があまりにも多くて提出期限が延びたのだそうだ。
はぁ!?coldsweats02
それで、なに、集めてもらえなかったの?
持って帰って来ちゃったの?
あんなに苦労して書いたのにぃ!?
そのときほど、教師に対して怒りを感じたことはない。
長男を含め、少数であってもきちんと宿題をやってきた子もいたんだろう。
なぜ、その子たちの宿題を受け取り、ほめてやらないのだろう。
大いにほめてやるべきだ。
作文の苦手な子が、いったいどんな思いで取り組んでいたか、
その先生は何も分かっていないのだ。
なんだか涙が出そうなほど悔しくて、学校に怒鳴り込んでやろうかとさえ思った。
あとになって考えてみれば、うちの子をもっとほめてやってくれと逆上して訴える自分の姿を想像してみるに、まぁ行かなくて正解だったとは思うのだが、
私としてはそれほどの思いだったのである。

一度そんな気持ちを抱いてしまうと、いろんなことが気に入らなくなってくる。
だいたい、テーマは自由なんていうのがいけない。
自由だからこそ余計に、テーマが決められなくなるんじゃないの!
「作文」というだけで身構えてしまう子どもに、テーマを選ぶところから自分で考えるというのは、思ったほど簡単なことではない。
それに、書いたものがなんらかの形でフィードバックされるのでなければ「指導」にならないはずなのだが、提出した作文は提出したっきりで、先生のコメントどころか返却もされてはいなかった。
それでは子どもだって、せっかく作文を書いても、なんの張り合いもないではないか。

近年、入試の傾向を見ても、考える力や論述の力が重視されてきている。
作文指導も力を入れて行かないといけないのも分かるが、
子どもたちはそれぞれのバックヤードで育ち、資質も経験も異なり、とにかく個人差が大きい。
どの子の力も伸ばそうと思ったら、そこは教師としての力量が最も問われるところだと思う。
むやみやたらに書かせても、作文嫌いの子どもの苦手意識を助長するだけで、あまりいい結果を生むとは思えない。

 

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