育児

部活動、あれやこれや

次男の成長期は肩から始まった。
そもそも、男の子の体の成長というものをよく分かっているわけでもないが、だいたいは背が伸びることから始まるものだと思っていた私である。
っていうか、それ、間違ってませんよね?

中学生になって初めての夏が過ぎたある日、
長袖Tシャツ一枚を着た次男の姿を見て、私は違和感を覚えたのだ。
なにかが今までと違っている。
次男の体のシルエット。
どこがって、ほら、この肩。
ちょっとこのシャツ、肩パット入ってないわよね?
キョトンとする次男の肩を両手で掴んで確かめるが、
正真正銘、次男の肩である。
うっそーsign03
ちょっとアナタ、いつの間に~?happy02

もしやと思い、身長を測ってみると、春から5cm伸びていた。
いよいよ待ちに待った成長期の到来である。
とは言え、もともと小柄な次男の背が5cm伸びたところで、
同じく成長期真っ只中の子どもたちに混ざってしまえば
急にその差が埋まるわけではない。
バスケの試合でどんなにがんばってジャンプしても、
背の高い子には易々とボールを奪われてしまう。
「おまえは跳ぶなー!」と先生に言われる。
「その代わり、足元に転がったボールは絶対取れ!」
確かに、すばしこい次男はルーズボールを拾うのには有利である。
だけど、「跳ぶな」はないわよねぇ…gawk

このごろ、中学の部活について思うことはいろいろある。
学校生活における部活動の位置づけも、この数年で変わってきている。
世間ではブラック部活なんていう言葉が囁かれ、
生徒だけでなく、教員にとっても過度に負担が大きい活動の仕方を
見直す動きが出てきたためだと思われる。
数年前に長男が在籍していたころに比べても、今は部活の休みも増えた。
中学の先生方は傍目にも多忙で、部活だけに時間や労力を割くわけにもいかないというのも理解できる。
ただ、それを差し引いて考えても、どうもすっきりしない思いが
今、私の心を占めている。

30年以上前の私自身の子ども時代にも、少年野球や少年サッカーはあったし、
小さいころから剣道や柔道、水泳などを習う子どもはいた。
でもそれは、数から言って、ごく少数の子どもだった。
中学で部活に入り、初めてのスポーツにチャレンジするというのは、よくあることだったように思う。
でも今や、バレーボールもバスケットも、テニスも、卓球も、
小学生のうちからやっている子がたくさんいて、
部活でレギュラーを占めるのはたいていそういう子ばかりだ。
そして、さらにうまくなりたい子は、部活の練習だけでは足りずに
外に習いに行くのも普通であるし、
そもそも学校の部活には所属せず、外部のクラブチームのみで活動する子もいる。
部活に入ってさえいれば十分だろうという古い価値観は、通用しない時代なのである。

そんな中で、次男が所属するバスケ部は、この春未経験者ばかりが入部した。
夏に三年生が引退すると、二年生はわずか二人。
初心者だろうがなんだろうが、一年生も試合に出る。
普通に考えれば、猛練習が必要な彼らである。
しかし実際は練習以前に、集合が遅い、ダラダラしている、私語が多いというふうに、だれかが何かをちゃんとやれてないといっては、連帯責任のランニングばかり。
夏まで、ろくにバスケの練習をしていなかったのである!
ペナルティのランニングなんて、疲れるだけで楽しいはずはない。
それで余計にダラダラするという悪循環。
そんな状況で試合に出たって、どうにかなるものではない。
先生からのダメ出しの嵐にも、子どもたちは混乱するだけ。
「お前ら下手すぎるって言うけど、先生が何にも教えてくれないんじゃないか!」
もっとちゃんと練習したいと次男が涙をこぼす日もあった。

中途半端なんだなぁと思う。
部活のあり方が である。
学校教育や教員の勤務全体の中での部活動のウエイトは
どんどん少なくなってきている。
部活指導にあまり手をかけていない。
その割に、先生の子どもたちに対する要求度合いが高すぎるのだ。
小学校時代にミニバスケットボールをやってきた、放っておいたって試合ができる子どもと違い、
初心者がどんなになんにもできないか、
先生は忘れているんじゃなかろうか。

それでも、入部してから半年余りが過ぎた。
次男が時々家で話す部活のエピソードは、涙あり笑いあり、
不平不満をもらしながらも、なんとかここまでがんばってきた。
さらに驚くべきは、入部当初のメンバーが誰一人欠けていないこと。
例え試合に勝てなくても、なにかそれ以上に価値あるものを
きっとあの子たちは手にすることができるだろう。
成長期の波を逃すまいと、朝に晩にザバスジュニアプロテインを
牛乳に溶かして飲んでいる次男を、
今は温かく見守るだけである。

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部活動始めました

日曜日。
朝一番の時間帯に部活が入っていた次男、出かけたと思ったら一時間ほどして帰ってきた。
なんでも、顧問の先生に叱られ、「帰れー!!」と怒鳴られ、帰ってきたんだそう。
何度聞いても、次男の説明では状況が今一つ分からないのだが、
集合の時間が遅い、ダラダラしている、真剣味がない、
叱られた理由は大方そんなことのようである。

おーおー、やってるなーsmile
次男が入部したのはバスケ部。
さすが運動部である。
「センパイがすごく優しい」けれど、「先生はこわい」んだそうである。
だけど。
それで帰って来ちゃってよかったわけ!?
私の時代だったら、「すみませんでした!!練習させてください!」と、そこは泣いて訴えるところだと思うのだが、現代っ子は違うようである。
「だって、帰れって言われたんだもん。だいたい、先生怒ってるのに、笑って話してるヤツがいてさー、先生余計に怒っちゃって。それで、おまえら帰れーってなって、ぼくたちなんかトバッチリだよ」
いや、そうじゃないでしょ。
遅く行ったのはアナタもでしょ。
時間を守った早目の行動は、部としての規律を維持する上でとても重要だ。
次男を見ていると、やはり認識が甘いと言わざるを得ない。
先生もたいへんだなーと思う。
こんな中身がまだ小学生の子どもたちを、一人前の運動部員に育て上げるまでに、あとどれくらい怒鳴らなければならないのだろう。
そうやって先生が、自分たちに膨大なエネルギーを注いでくれているという真実を、あの現代っ子たちはいつか気付くときが来るんだろうか。

母親目線で見る次男は、まぁ、無邪気なものである。
ボールの扱いに少し慣れたと言っては喜び、センパイと親しく口をきいたと言っては嬉しがる。
一つ二つ年上の子たちを「センパイ」なんていう慣れない呼び名で呼び、敬い慕うさまは、母の目にはとても新鮮である。
練習キツかったー とよれよれになって帰宅する姿も、母の胸にグッとくる。
初めての部活動、たくさんの戸惑いも感じているだろうが、とにかく一生懸命である。
気心の知れた仲間と顔を合わせれば、もう楽しくって仕方がない。
不真面目なのではないのだけど、とにかく楽しくって嬉しいのだ。
でも、その楽しくって嬉しいのは、運動部員らしくない。
顧問の先生の目からすれば、指導の対象になってしまう。

「学校の先生って、みんなすぐ怒りすぎるんだよ」と、次男は口を尖らせて言う。
自分たちが先生を怒らせる原因を作っている事実なんて、まるでないみたいに。
「卒業式のときだってね」と今度は小学校時代の話を持ち出す。
「ツムツムの音がするんだよ。シーンとして式が始まるのに、どこかでだれかがツムツムやってんだよ。卒業式でツムツムの音が聞こえたら、可笑しいでしょ。ふつう笑うでしょ。で、ちょっと横向いて笑ってたら、先生に怒られた。」
納得いかないって顔の次男である。
それは初めて聞いた話だったが、きっと親に連れられて来た小さな弟妹の誰かが間をもたせるためにスマホのゲームをしていたんだろうと思う。
筋から言えばゲームの音を消すべきだが、その場にいた先生にとっては児童に笑うなと言うほうが早い。
なにせ、卒業生は卒業式の主役。
みんなが注目するのだから。
ま、先生の対応も仕方なかったよねぇと思うけれども、怒られた本人としては不本意なのも分かる。
こうやって、少しずつ始まっているんだなぁ と私は思った。
なにがって、「どうせ大人は分かってくれない」っていう例のアレ。
親も先生もクソくらえっていう思春期特有の反抗期。
次男は家でも外でも、特別反抗的な子どもというわけではない。
それでも、心の内で大人たちの行動を観察し、矛盾を見つけては、不満や不信を募らせていく時期なのだ。
そんなことを考えると、本当に中学の先生ってたいへんな仕事だと思う。
部員と顧問の間の適度な距離感を保つのは、すごく難しいと思う。
どうかうまく舵取りをしていただき、ムチばかりでなく時々は飴も与えてもらって、未熟な我が子をご指導いただけたらと願う。

週が明けて月曜日。
前日一緒に帰ってしまった数人の部員といっしょに、先生に謝りに行ったそうだ。
「自分で帰れって言ったくせに、おまえら、なんで帰ったんだよ~!って言ってた」
ぽそりとつぶやく次男。
それ、先生の前で口に出さなくて正解。
先生の深い愛が、現代っ子思春期篇の彼らに届く日はそう遠くないと予感した私である。

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卒業

卒業式は自分でも意外なほどあっさりしたものだった。
先日来、万感胸に迫る思いで準備してきた、次男の小学校卒業であるのに。

時間の余裕がなかったのもいけなかった。
朝、いつもの登校時間に子どもを支度させて送り出したあと、
バタバタとキッチンを片付け、自分も身支度。
思ったより手間取り、予定していた時刻より15分遅れて家を出た。
しかも、久しぶりに履いたハイヒールでは思うように歩けない。
会場に到着したときにはすでに保護者席の8割がたは埋まっていて、ビデオ撮影するのにいい席を選ぶどころではなかった。
なんとか席を確保し、多少の緊張、そしてどこかそわそわ落ち着かない気持ちのまま、開式のときを待つ。
やがて、在校生や来賓も入場、着席。
いよいよ、卒業生の入場だ。
保護者席の隙間から、カメラで子どもたちを追う。
おぉ、わが子の姿、発見!
スーツの上着はへたにサイズを直すことをやめ、あえて大きいまま着せた。
やっぱり少し大きいけど、でも、うん、いいよ!似合ってる。
なかなか、男前だわよ~ と親ばかカメラマンは心の中で叫ぶ。
しかし、それも束の間、愛しいわが子は集団の中にすっぽり隠れ、見えなくなった。
はっきり言って、入場と退場、卒業証書授与のとき以外は、わが子の姿はチラとも見えない。
あぁ、これって背の順じゃないのよね…

それでも、母はめげない。
国歌に続き校歌斉唱、卒業の歌のときも、カメラを回す。
姿は見えなくても、この集団の中にかわいいわが子がいると思うだけで、その空間すべてが愛おしい。
画面には映らない子どもたち一人一人の存在も、間違いなくこの場を構成している大事な要員。
その全員によって式場のこの空気も作り出されている。
その空気を含め、今この時にここで行われていることを映像として留めるために、なおもカメラを構え続けていると、不意に、
こうやってわが子の姿をカメラで追い回すこともこれからはなくなっていくのだろうという、また別の感慨に私はとらわれるのだった。
子どもが成長し親の手を離れていくにつれ、カメラの出番は確実に減っていく。
そんなことを考えて、目は式典に向けられていながらも、私の心はどこか遠くの異次元空間を彷徨い始めた。

式のあと、小学校最後の学級活動が終わり、子どもたちが校庭に姿を現した。
みんな記念の写真を撮り合ったり、泣いたり笑ったり、賑やかである。
そこここで繰り広げられる感動シーンの間を縫って、わが子を探す。
いた。
笑顔を向けるが、あらら? なぜかご機嫌ナナメ。
それもかなりの傾斜をつけたナナメである。
理由はわからないが、ぶすっとしてすこぶる感じが悪い。
なに?なんなの?この晴れの日にそれ?どうして?
合点がいかないけれど、その場でそれを糺して叱りつけても仕方がない。
あぁもう!と思いながらも、お世話になった担任の先生に挨拶だけはさせ、写真撮影もそこそこに学校をあとにする私たち親子。
そんなこんなで、結局子どもの卒業式という慶事に今一つ気持ちが浸りきれないまま、
私はその大事な一日を過ごしてしまったのである。

帰宅しても、次男の機嫌は直らなかった。
なにかあったのか?と夫に訊かれても、私だって皆目分からない。
そっとしておくしかないわね と私が言い、そうだな と夫も言う。
せっかくの卒業式なのに…という言葉が口から出そうになるのを飲み込んで、素知らぬふうで夕食の準備を始めた。
ところが、振り向くと、いつからそこにいたのか、ダイニングに次男がいる。
次男がいつものように、いや、いつもに増して機嫌のよさを漂わせている。
え?と思い、もう一度顔を見ると…
笑ってる!coldsweats02
あれ~???
原因不明の不機嫌は、いつの間にか予告なく、ケロリと直ってしまっていた。
鼻歌さえ口ずさむその様子は、先ほどまでとは別人のよう。
それを見てほっとしたのも事実だが、あまりと言えばあまりの身勝手さに呆れてしまう。
ほんとにもう、どうなっているんだろう。

その謎は翌日になって解明された。
次男とのやり取りの中で分かったのだが、大切な友達と仲直りをしたんだそうだ。
実は次男、一年生のときからの仲良し四人組のうちの一人と、ずいぶん長いこと仲違いをしていたのだ。
5年生の冬からだから、もうまる一年余りになる。
ほかの二人よりも頻繁に行動を共にし、一番の友達と思っていたその子。ケンちゃん。
あることがきっかけで猛烈に怒った次男は、そのときからケンちゃんとの一切の付き合いを断った。
それを知ったケンちゃんも、決して自分からは謝らなかった。
冷戦状態のまま、二人は6年生に進級し、初めて同じクラスになった。
同じ教室で一年間、互いに口をきくこともなく過ごし、そして卒業の日を迎えた。
どうせそのうち、いつものように仲直りするんでしょ と軽く考えていた親たちの予想は完全に裏切られ、もう二人の関係が修復することはないのだと思われた。
それが。
いともあっさりと。
「ごめん」
「いいよ」
たったそれだけのLINEメッセージで、凍り付いた二人の関係はきれいにとけてしまったのだ。

そうなるならそうなるで、そんなに簡単なことならば、なぜもっと早くに仲直りできなかったのか。
でも、分かる。
仲がいいからこそ、言えないこと。
仲がいいからこそ、許せないこと。
あるよね、そういうこと。
精一杯張った意地を引っ込めるにも、時間がかかる。
思っていることを実行に移すにも、きっかけが必要で、
なにより勇気がいる。

晴れ晴れとした次男の表情に、私の目にもようやく涙がにじむ。
次男は今、小学校時代最後の課題をやり遂げ、新しい門出を迎えた。
長い長い冬は去って、春がやって来たのだ。

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子どもとスマホ

あれだけ愛用していた任天堂3DSもこの頃はそっちのけの次男、このひと月はスマホに夢中である。
なるほど、夕方5時台から6時台、それに寝る前の9時台はLINEの通知も鳴りっぱなし。
とても楽しそうである。

学校の友達とは学校で毎日顔を合わせているにもかかわらず、
帰って来てからもまだ話がしたいわけ?
そんなに内容のある会話が飛び交っているとも思えないけど?
と思わないでもないのであるが、LINEで話すということが楽しいのも少し分かる。
学校というリアル社会の中での関わりとはまた別の次元でつながるというのは、特別な感じがしてワクワクするし、親密さも増す。
表向きの付き合いと、ネットでの付き合いと、その二つは一致するようで完全には一致せず、微妙な二重構造になっている。
ま、そこでのやりとりが健全なものであるならば、そう目くじらを立てることでもない。
しかし、今どきの子どもは、交友関係も複雑なんだなぁと改めて思う。

次男を見ている限り、よくトラブルとして持ち上がってくるような問題は今のところない。
いつLINEが入るか気が気じゃなくてスマホを肌身離さず持ち歩くということは全くないし、既読スルーだってしてもされても問題ナシ。
チェーンメールが回ってきても、なにが面白いわけ?と平然と無視している。
友達登録してきた子がいても、もったいつけてこちらは友達に登録しなかったりするのには、角が立つのではないかと親の方が心配したが、
でも、卒業が目前に迫ってきた今は、友達登録してくれた子はみんな、友達に登録したようだ。やっぱ、そうよね、ふつう。
スマホを持つまではこうした交流の輪に加わることはなかったし、
それが絶対に必要なものかと言われればそうではないのだと思う。
ただ、スマホを持っていないからと言って学校で一人ぼっちになるわけじゃないとしても、やっぱり子どもたちにとってスマホが交友関係の中で大きなウェイトを占めてくる事実は、どうにも動かしがたいんだと思う。
LINEアプリ一つをとっても、良い方に機能すればこれほど楽しいアプリはないと思うが、
場合によってはそれに縛られ、悩む子どもも出てくるのは想像に難くない。
LINEが当事者以外の他人の目に触れにくく、いじめの温床になりやすいということも、周囲の大人がよく認識する必要は大いにある。

しかし、思い返せば去年の今ごろは友人関係に悩んだ時期で、人間不信に陥ったかのようにネガティブな発言ばかりしていた次男だった。
一時はとても心配していたが、今は新たに友と信頼を築き、毎日充実しているようだ。
そんな姿を見るにつけ、こちらも安堵し、嬉しい気持ちでいっぱいになる。
LINEでもなんでも、やりなさいよって気持ちになってしまうのだ。

わが家の場合、次男がLINEを始めてから私が目くじらを立てたことは、実は別のところにあった。
スタンプである。
初めのうちは、あちこちの公式アカウントを友達に登録したりして、無料スタンプを集めていた次男であるが、有料スタンプを買いたいと言いだした。
LINEアプリで購入できるものはオンライン上でコインを購入しての決済方法しか選べないようだが、LINEストアというサイトからならコンビニなどで販売されているプリペイドカードが使えるので、現金での購入が可能だ。
持っているおこづかいでカードを買ってくるというので、好きなようにさせた私。
どうせ1000円分のカードを購入するんだろうと高を括っていたのだが、なにを思ったか次男、3000円のカードを買ってきたのである!

カードに付されたPINコードを登録すると、LINEの自分のアカウントに購入金額がチャージされ、スタンプや着せ替えを買うことができるようになる。
そのチャージをしようとする過程で安心アクセスにブロックされ、次男が私に助けを求めてきたことで、それは発覚した。
「ちょっと!スタンプ買うだけに3000円て、なに考えてんの!!」
スタンプひとつの価格は、120円か、高くて240円である。
「1000円のカードが売り切れてたとか?」
「売ってました」
「じゃあ、3000円もスタンプ買おうと思ったの?」
「・・・ごめんなさい(>_<)sweat01
この子の金銭感覚、どうなっているんだろうという心配よりも
怒りが心頭に発する私。
「とにかく、このカードは一旦預かります。安心アクセスはそんなに簡単に解除できません!」

因みに、安心アクセスというのはauの子ども向けフィルタリングサービスで、つい最近、あんしんフィルターという名称に変わった。
このアプリを子どものスマホに設定しておけば、年齢に応じたフィルタリングをしてくれる。
電話の発着信の制限や、使用時間の制限、利用できるアプリの制限や有害サイトのブロックまで、一通り網羅しているので、親としてはかなり安心できる。
年齢別の標準の設定から、個別に特定のアプリを制限したり、あるいは許可に変更したりすることもできるので、使い勝手はいいと思う。
次男の場合はちょっとフライングで中学生の設定にしたが、ゲームや動画視聴(*)、支払いの発生することなどはすべて制限される。*訂正します。制限がかかるのはアプリのため、例えばYouTubeアプリは使用できなくても、ブラウザから動画を再生はできてしまいます(^^;)
ゲームの場合、ダウンロードはできるので取りあえず入れてみても、いざプレイしようとすると制限がかかるため、その度に私に「お願い~」とすり寄ってくることになる。
以前から私のタブレットでやっていたモンストと、ツムツムだけは、許可にしてあげた。
子どもにスマホを持たせるなら、フィルタリングは必須だ。
今回も、この安心アクセスがいい仕事をしてくれたおかげで、
次男の企て(?)は未遂に終わったのである。

とは言っても、どうするかな~、この3000円…
カードのPINコードの部分も削ってしまっているし、返品はできない。
かと言って、そのまま破棄っていうのももったいない!
それをそのまま次男に使わせるっていうのも示しがつかないし。
で、ひねり出した解決策は、私のLINEにチャージするということ。
そして、必要に応じて私がスタンプを購入し、次男にプレゼントする。
LINEスタンプは自分で購入するほか、友達になっているだれかに贈ることもできるのだ。
それなら、安心アクセスの設定を変えずに、次男もほしいスタンプを入手できる。
も~、私って天才!happy02
こうして、この一件は落着し、すべて丸く治まった。
おかげで私も、キジオに酷似した猫のスタンプを購入し、
楽しいLINEライフを送っている。

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これも時代の波

とうとう買ってしまった。
6年生の次男がずーっとほしがっていたもの。
スマートフォン。
スマホといったら、電話という本来の機能などおまけのようなもので、インターネットという夢の世界への入り口。
ドラえもんの四次元ポケットのようなものだから、子どもだってほしいのも当たり前。
持っていてくれたら外でも連絡が取れ、親の側も便利である。
しかし、子どもにスマホを持たせるというのは、親にとってかなり勇気のいる決断だ。
長男のときだって、高校受験が終わるまで我慢させた。
周りの友達もかなりの確率でガラケーを持っていた時代。
いよいよ中学卒業が近づき、ケータイを持たせようと思ったら
既にスマホが普及していて、
え?そうなの?いきなりスマホなの?と慌てた私。
長男にスマホを持たせたのと同時期に、私もガラケーからスマホに切り替えた。
まず自分が使ってみなくちゃ、子どもにどう使わせていいかわからないもの。
わが家にはこれまでそんな経緯があって、だから次男にも
スマホは高校生からと言い聞かせてきた。
だが、時代の動きは早い。
どんどん変化していく。
今や小学生だってスマホは当たり前のツールになりつつある。
中学に入ったら、次男もやっぱりスマホがいるんだろうなぁ…
でも同じ年頃にずっと辛抱させた長男の手前もあるし、
ネットトラブルの心配だってある。
どうしたもんかなぁと思っていたら、その長男が言う。
「心配だからってただ禁止して、なにもやらせないっていうんじゃダメなんだよ」
じゃ、中学から持たせてもいいと思う?
アナタは高校まで待ったのに?
「別にいいんじゃね? だってそういう世の中だし」
なんと大人な発言でしょうshine
たしかに、それが今じゃないとしても、いずれは次男にもスマホを持たせることにはなる。
どうせ持たせるのだったら、思春期の泥沼にずぶずぶと足を踏み入れた、親にとっては扱いにくい時期になってからよりも、まだ親の干渉を素直に受け入れてくれる今の方がいいのかもしれない。
親がしっかり関わって、スマホの使い方や安全なネットの利用方法を覚えさせ、ルールを作ることが大切なのだ。
かくして、長男の言葉に背中を押されるように、私は心を決めたのだった。

しかし、物事には“きっかけ”というものが必要である。
何もないのに、今までダメと言い続けてきたことを急に許可するのは、たいへん不自然であるからして、私はそのきっかけとなるものを探した。
なにかの目標をひとつクリアしたら というのが望ましいと思った。
そうしたら、ちょうどいい具合に、ひと月ほど先に少林寺拳法の昇段試験の予定があったのを思い出した。
それまでの昇級試験と違い、初段を受けるということになると、さすがにちょっとハードルが上がる。
ここはひとつ、気合を入れさせるためにもちょうどいいのかもしれない。
鼻先にぶらさげられたにんじん。
それがスマホ。

そんなこんなで瞬く間に時は流れ、とうとう昇段試験が2日後に迫った日。
次男にピンチが訪れた。
予期せぬ体調不良である。またしても というか(^^;)
その日は朝から喉が痛いと言っていたが、下校後は全身の倦怠感に包まれながら帰宅した。
熱を測ると37℃。微熱。
まさかインフルエンザ!?coldsweats02
そうだったら試験はアウトだわ・・・shock
仕方ないけど~sad
かわいそうだけど~despair
でも、ここに来てこの展開?think
半ばあきらめの境地で次男の様子を見守るも、
熱はそれ以上上がる気配はなく、本人も、ゼッタイ治る!治らなくてもゼッタイ受ける!とがんばっている。まさかスマホのためじゃないでしょーねー( ̄д ̄)
翌日を待って受診し、インフルエンザの検査は陰性だった。
周囲のたくさんの大人たちに心配をかけつつも、次男はギリギリ試験当日の朝平熱に戻って試験会場へと向かい、夕方には合格の知らせとともに帰ってきた。
やれやれ。
ほんとに運がいいんだかわるいんだか。

とにかく無事、当初の目標を達成し、スマホを手にした次男である。
購入に当たっては、保護者による使用制限を加えること、使える時間帯も制限されることを前提としているので、やりたいことができなくても今のところ不満の声は上がっていない。
だけど、あまりになんにもできない設定になっているので、YouTubeだけは見られることにした。
今後、状況を見ながら、何をどの程度許可していくかが焦点だなーと思っているが、当面はLINEが使えたらそれで満足のようである。

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幸せな悩み

以前に長男が小学校の卒業式に着たスーツをタンスから引っ張り出し、ぼんやりと眺めている。
どうしようかな と思いながら眺めている。
身長が合わないのだ。
あと二か月足らずで、次男も卒業式だ。
どうせ一度しか着る予定はないんだし、なんとか体に合うようにお直しして使うか。
でもせっかくの晴れの日に間に合わせの服というのもねぇ…
心の中のつぶやきは、さっきからずっと同じところを行ったり来たり。
考えがまとまらないまま、ただ目は人形のように吊り下げられた服を見ている。
 ぼくはただ見てる
 それをただ見つめてる
 鬼たちも笑う
 それをただ見つめている

PCの中の星野源が歌う。
私はチョコレートを一粒口に放り込み、なおもその黒の三つ揃えを見つめ、黙って鬼に笑われている。

そこへ当の次男が帰宅したので、私はおもむろに上着をハンガーから外し、スウェットパーカーの上から軽くはおらせてみる。
うん、袖、長い。
着丈も、長い。
でも思ったよりもぶかぶかではなかった。
「これでいいよ」と次男は言う。
そうだねっていう気になる。

このところ、私の気分は混沌としている。
実はこの年末年始を挟んで、父が入院していた。
さほど心配な病状ではなく、すでに退院もしている。
ただ、その間家に一人で過ごしていた母のことが気になった。
母は元来よく気が回り、明るくよくしゃべる人である。
そして、父の入院している間、母は普段にも増して饒舌で、忙しく過ごしているようだった。
電話をしても、会いに行っても、母はとても元気だった。
そんな母に接し、私は安心すると同時に少し心配になった。
母は意識下にも不安や寂しさと戦っている、そんな臨戦態勢にあるのではなかろうか。
父が退院し、いつもの日常が戻っても、時が後戻りするわけではない。
父も母も老いていく。
そう思うと、なんとも切ない思いがこみ上げる。

朝ドラ『べっぴんさん』で、江波杏子扮するジャズ喫茶の女主人が言っていた。
まさかこうして一人で生きていくことになるなんて。
女の一生なんて、分からないものだと。
人生を語るのに男も女もないと思うが、そんなセリフがやけにずっしりと響いてくる。
もし私が突然天涯孤独の身になったら。
脈絡もない空想の中で思う。
電球が切れても交換の仕方すらおぼつかない私が、一人で生きていくなんてできるんだろうか。
自分自身の不甲斐なさに打ちのめされながらも、改めて目の前のスーツを見やる。
本当に、子どもの卒業式の服のことで悩むことくらい幸せな悩みはないんだと思う。

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年末年始 雑感

年末の一連のバタクタを経て、新年を迎えた。
年が明けるということは、一つの大きな区切り。
そう思うからこそ、大忙しの年の瀬なのであり、
準備万端で迎えるからこそ、お正月を過ごす慶びもひとしおなのである。

とは言うものの、店も元日から初売りの始まるこの時代。
なにも大晦日に慌てて食料品を買いだめしなくたっていいのよねぇ
と毎年思う。
だけど、年末にあれやこれやと必要以上の買い物をすることも、
主婦の気分を高揚させる一つの要件になっている以上、
やめるわけにはいかない。

大掃除にしてもだ。
たかだか31日が、一日たって1日になるだけじゃないの
と思えばなにも、殺気立って家中を掃除してまわる必要などない。
いつも通りだって別にどうってことないのだ。
しかし、放っておけばダラっとしてしまう私のような怠け者には
こういうイベント的な要素は必要だ。
メリハリのない生活はきっと私という人間を腐らせる。
そうよ、新しい年を迎えるために身辺を清め、心機一転、仕切り直すのよ!
てなわけで、子どもたちも巻き込んでの大掃除大作戦が、この年末も繰り広げられたのだった。

そして待望の三箇日。
私はカシューナッツをつまみながらお屠蘇の盃を傾け、いつになく大きな満足感に浸った。
世の中がどう変わっても、やっぱりこのバタバタからのまったりという気分の大きな転換はお正月に欠かせない。

お正月準備といっても、本格的なおせち料理の用意はしないわが家である。
朝のお雑煮と、多めに作ったおしるこ。
買い込んだ食材を代わる代わる食卓に並べながらも、数の子と黒豆、かぶの酢の物、それに田作りだけは切らさない。
わが家のお正月はそんな感じである。
わが家というより、私の かな。
自分の好みと家族の需要を考慮した結果、こんなふうにまとまってきた。
嫁として義母の流儀を受け継ぐという要素は、ない。
だって、義母ときたら、「あら、このタケノコ、缶詰め?」なんて真面目に言う人だもの。
タケノコの水煮が真空パックされて一年中売っていることすら知らない人。
年末になると、それがスーパーで山積みされて売っているのも見たことない人。
これまでどうやって生きてきたんだろう。
さっぱり頼りにならない人。

おぉーっといけない、話題を変えよう。
正月早々お年玉を手にした次男、早速買い物に出かけた。
今年初の買い物は、ドラゴンボールヒーローズというゲームのライセンスカード。
先月おねだりされたが、私がダメと言ったもの。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
やっぱりねー、とうとう買ったか。
次男には6年生になっても未だ、月々定額のおこづかいをあげていない。
高学年になったらと言っていたおこづかい制度だが、なんとなく延ばし延ばしになって現在に至っている。
もし既におこづかい制度を導入していて、毎月自由になるお金があるのだとしたら、そのカードはとっくのとうに手に入れていたに違いない。
親がいくら反対したって、ほしいものはほしい。
ま、仕方ないか。
でもあんまり、ゲームにお金をつぎ込むんじゃないよ と釘だけは刺しておく。
そんなの分かってるよ と本人は言うものの、その言葉をそのまま信じていいのかしら。
今一つ、信用のおけないところだが、いよいよ春からは中学に上がる次男。
おこづかい制度のこともいいかげん先延ばしにはできなくなった。
今年は本当に考えなくちゃ。
そんなことを思いながら、これから一年の間に起こりそうなあれこれを想像してみる。

大人になっての一年に比べ、子どもにとっての一年は大きい。
それこそどんどん変わっていく。
そういう時間の積み重ねがどれほど貴重なかけがえのないものか。
私自身、子どものときにはそれを全く意識しなかったように、
おそらく息子も全く気付いていないだろうけれど。
過干渉にならないことを心掛けながら、見守っていきたい母である。
しかし本当に我ながら、末っ子にはつい過保護になってしまっていけない。

そうそう、そういえば。
この年末に変わったことがひとつ。
例のごみ置き場に放置されていた仏壇こちらの記事に記載あり)が、とうとうあの場からなくなった。
ごみとして回収されていったのか、あるいはそのごみ置き場の管理者がなんらかの手段を講じたのか、消息は不明だが、
とにかく年越しを前にあの朽ちた仏壇はしかるべき場所へ運ばれ処分されたのである。
やはり、年が改まるタイミングというものは、過去に一切のケリをつけるときであるようだ。

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憂鬱な気分と子どもの遊び

窓からは日差しがふりそそぎ、穏やかな日曜日である。
しかし、いいお天気とは裏腹にどこか気分がのらない私。
せっかくのお出かけ日和も、なんの予定も入れずにだらだらと過ごしている。
このところの私はずっとこんなふう。
師走の声を聞き、頭の中にはやらねばならないことがいくつもリストアップされているが、どれひとつ手を付ける気にならない。
早く取りかからないと後で自分がたいへんになることも分かっているし、そうなったときには今この瞬間に重い腰をあげるよりもより苦しい思いをするのも分かっているのに、
それでもこうして、取りあえずブログの更新を優先してしまう私なのである。

ここ一週間を振り返ってテンションの上がったことといったら、
数日前に15歳のお誕生日を迎えられたという愛子さまのニュースをぼんやり見ていたときである。
体調を崩されたせいなのか、ずいぶんとほっそりされた愛子さまが座っていらっしゃる映像が流れる。
そのお膝には、ネコ。
あら?ちょっとー!!
愛子さまのにゃんこ、キジオに似ているじゃないの~sign01
ほらほら、顔のところの柄の入り方とか、そっくり~~~lovely
などと言って、ひとしきり騒いでいたことしか思い浮かばない。
お昼ごはん用にと買っておいた中村屋の肉まんあんまんの徳用袋に貼られた懸賞の応募シールも、躊躇なくゴミ箱に捨てている自分に気付き、どれだけ気持ちがふさぎ込んでしまっているかを改めて自覚するに至ったのである。
あー、いかんなぁ…
なんでこうもやる気が出ないのかしら?
これってまさか、いわゆるプチ鬱状態?
ま、そんな大げさなものじゃないわよね…と一人ブツブツつぶやく私。
新しく購入し、セットアップされるのをじっと待っているPC用プリンターの箱を前に、今日も悶々とそれをしない言い訳を考えているのである。

そんな私、昨日は次男を連れて買い物に出た。
思えばそんなことも久しぶりである。
いつまでも甘えん坊の次男ではあるが、このごろではさっぱり、
親の買い物になど付き合わなくなっていた。
どうやら私が出向こうとしている大型スーパーマーケットの子供用品の階にある、ドラゴンボールヒーローズというゲーム機がお目当てのようである。
1回100円で遊べるというアーケードゲームだということ以外、そういったことに疎い私にはよく分からないのであるが、子どもたちの間では人気があるらしい。
親の知らないところで、子どもは面白そうなものに嗅覚を働かせる。
聞けば、友達同士でこれまでにもその店によく出入りしているらしい。
まぁ、ゲームセンターなどでなく、スーパーマーケットの一角にあるということも、安心して遊べる理由になっているのだろうけれど。
たまにはまぁいいかと思い、軽い気持ちで百円玉2枚を次男の手に握らせ、私は同じ階の文具売り場へ向かう。
売り場を一回りして年賀状書きのためのペンを購入し、さきほどのゲームコーナーに戻ってみて驚いた。
さっきは子どもがパラパラしかいなかったその場所に、ちょっとした人だかりができている。
しかも見覚えのある顔ぶれ。
次男の学校の同級生たちだった。
なに、ここ、あんたたちのたまり場なの?coldsweats01
しばらく次男の横に立ち一緒にゲームを覗いていたが、中にはすごい量のカードを持っている子もいて、いかにも手慣れたふうに遊んでいる。
これが今の子どもの遊び方なんだろうか。
まぁ、数人で集まっては携帯ゲーム機で遊ぶ姿はよく目にするし、本人たちはそれとさほど変わらない意識でやっているのだろうけれど。
そういえば、もう10年以上前のことだが、長男が小さいころに
ムシキングというアーケードゲームが流行って、何度か私も付き合ったことがある。
そのときも、少し大きい小学生の子たちは、分厚いカードの束を持ってゲーム機に群がっていたっけなー…
そのころは、1回100円を使って画面の中の虫を戦わせ、カードを一枚お土産に持って帰ればそれで満足だったが、今のは違う。
なんでも、ヒーローライセンスとかいうカードが600円ちょっとで販売されていて、それを使うと対戦内容をセーブでき、経験値をためてレベルアップとかなんとかかんとか?
よくわからないが、要するに継続してこのゲームを遊ばせようとする仕掛けになっているのである。
そして、そのライセンスなるカードのお試し版がその店で無料配布された折に、次男はすかさずもらいに行っていて持っていたのであるが、使用期限が切れたかなんかで今は使えなくなっているんだとか。
えーっ、いつのまに!?
そんなの持ってるなんて、知らなかったーcoldsweats02
え?新しいの買ってくれって?
やーよgawk
いくら1回100円でも、子どものうちからお金を使って遊ぶなんて!
あのとき次男とともにゲーム機の周りに集まっていた子たちは、
いったいいくらお小遣いをもらって来ているのだろう。
あのゲームひとつに、総額いくらつぎ込んでいるんだろう。
そう考えながら、首元が寒くなる思いを抱え、店を後にした私である。

思春期にさしかかった子どもは親と距離を置きたがるものだが、
たまにはこうして行動を共にしてみるのもひとつである。
お昼ごはん買って食べるから、お金ちょうだいなどと言われても、
これからは簡単にお金を渡すまいと、
ただでさえブルーな気分に染まっている私は、心を鬼にしているのである。

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息子のともだち

去年の今ごろは毎日のように友達と遊び歩いていた次男である。
6年生になった今、少し気難しい時期に入ったのか、自分から遊びに行くことがほぼなくなった。
下校してから遊びに出かけたところでまたすぐ帰らなくてはならないので、それでも行こうと思うほどの気持ちがなくなっているらしい。
そのかわり、友達のほうがわが家に押しかけて来ることが度々ある。
初めは、え…gawkなどと言いつつ、遊びに来られればまんざらでもないふうの次男。
自分の部屋に友を招き入れ、見れば楽しそうである。
机とベッドが全体の半分を占めるような狭い部屋に、多いときは5人ほどの男子が身を寄せ合っている。
小学生といえど、ムサいぞ!(笑)
でもまぁ、「誰とも遊ばない」なんて一人でゲームしているより、
友達に囲まれたわが子を見る方が親としては安心できる。

先日の台風13号が接近した日。
大雨による被害が懸念されて、このあたりも学校は臨時休校となった。
その前日、いつもの感じで遊びに来ていた子が、明日また来てもいいかと言う。
台風なんだからムリでしょ、それで学校もお休みなんだからと言っておいたが、あーこれは絶対来るなぁ(^-^;という予感があった。
思った通り、翌日10時ごろ、TくんとYくんという二人がやって来た。
雨がこのあとどうなるのか、帰り道の心配がチラッと脳裏をよぎったけれど、ま、仕方ない。
家に上がってもらう。
しばらく遊んだところで、お昼はどうするのか訊くと、
二人ともコンビニに買いに行くと言うので、
雨も心配だし何でもよければうちで食べなさいよと私が言い、
そうすることになった。
とはいえ、買い物もしていなくて、子どもの好きそうなものなんてなんにもないわ…( ̄◆ ̄;) ←我が子のことは問題外
困ったなーと戸棚をあさり、そうめんを茹でることにした。
カレー味のめんつゆもあるから、それなら食べるでしょ。
準備が整ってテーブルについた彼らは、遠慮がちながら、私が用意した食事を残さず食べてくれた。
あ、一つだけ残したものがあったんだった。
それは大葉。青いシソの葉。
野菜が足りないと思い、冷蔵庫を探したらそれがあったので、
ボイルしたウィンナーにくるっと巻いて楊枝を刺しておいたのだ。
わが家では定番の食べ方なのだが、彼らにはシソは食べ慣れないものだったようだ。
こわごわと少しかじってみるが、ビミョーな顔つき。
苦手だったら残していいのよ!coldsweats01 と慌てて言うと、
申し訳なさそうに残す二人。
そうか、小学生の男の子はシソの葉なんて食べないのね と私も一つ、勉強になった。
そういう私だって男の子の親なのだけど、
うちの子たちは小さい頃から食べつけていて、抵抗がないのだ。
長男などは小さいころからシソ以外にもショウガやミョウガ、銀杏なんかも大好きというシブい味覚の持ち主で、次男もほぼそれに準じている。
でもそれは一般的ではないようだ。 ←それはそうだわね
子どもの友達に食事を出すという機会はそう多くあるわけではないけれど、
たまには面白いものだと思った。
彼らにしてもそうだろう。
自分の家で食べているいつもの食事とはちょっと違うものが出たり、お客さんの真似ごとをしてごはんを食べたりというのも、いい経験だ。
よその家に行くのも勉強ってよく言うものconfident

いつもは次男の部屋で遊ぶだけなので、そんなにゆっくり彼らを観察したことがなかったが、その日はTくんとYくんをけっこうじっくり見ることができた。←え?別にコワくないわよー
身体の大きいTくんはさぞかし食べるんだろうと思ったが、
意外にもYくんの方がたくさん食べてくれた。
そうめんは好きというYくんは、ふつうのめんつゆとカレーのめんつゆを両方使い、デザートの果物もたくさん食べてくれた。
なんて気持ちのいい子なんでしょうhappy02heart04 ←Yくん株、急上昇~
そして、Tくんに対しても私には驚きの発見があった。
これまでTくんのことは、奔放で気ままな子という印象を持っていた。
実際、次男からはTくんのかなり強引で無鉄砲なエピソードを聞かされていた。
でもその日、食卓でそうめんをつつくTくんには、思いのほか周囲に気を使う様子が見て取れ、とても好感が持てたのである。
Tくんて、なんだ、いい子なんじゃな~い!happy02heart04 ←Tくん株も急上昇~
てなことで、かわいいわが子の友達は、やっぱりかわいく思うのである。

そしてたっぷり遊んだ彼らは、夕方それぞれの家に帰って行った。
早朝に台風は温帯低気圧に変わったとはいえ大雨が警戒されたその日、一日を通して雨が降ったり止んだり、時折り激しく降ることもあったその日、行きも帰りも雨に降られることは一切なかった。
なんという強運sign01smile

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帰省

8月も下旬に入り、長い夏休みの終盤にさしかかると
子どもだけでなく親のほうも相当気持ちがダレてくる。
学校がある日常の感覚は遠く忘れ去られ、
じっとりと重い夏の空気に包まれながら、台風の渦巻きが描かれたテレビ画面の天気図をぼんやりと見やる。
日曜日、次男を迎えに行こうと思っているけれど
雨は大丈夫かしら?

次男は今、私の実家に行っている。
ずっと楽しみにしていたお泊まりだ。
そのためにがんばって宿題も終わらせた。
なので、親としては気持ちの上で楽である。
自宅でほかの家族のために家事はしなくてはならないが、
それでも家の中に小学生がいるといないでは全く気持ちの張り具合が違うのである。
おかげで、次男不在の静かな自宅で、私は思いきりダレていられるのだ。

行きは両親の顔を見がてら、私も同行して二晩ほど泊まってきた。
電車で約2時間だから、日帰りの往復も可能な距離である。
だから帰りは迎えに行ったその日にとんぼ返りする。
そろそろ次男に一人旅をさせてみてもいい頃だとは思うものの
なんとなく心配で、また、私自身このごろは実家に顔を出す機会もめっきり少なくなっているし、
それで、まぁいい機会だからと重い腰を上げるのである。

数日前に私が実家を訪れたのは、前回の滞在からはちょうど一年ぶりだった。
母は長いこと続けてきた書道の関係の会合で相変わらず忙しくはしているし、家族のために買い物に行き台所にも立ち、立派に主婦業もこなしている。
父は気ままな暮らしの中にも趣味や地域の活動に充実した日々を送っている。
しかし、三日間一緒に過ごしてみると、やはり以前とは違ってきていることは否めない。
外で短時間会っただけでは気付けない、いろいろな変化が見て取れた。
両親はともに80を過ぎている。
仕方あるまい。
だれだって年を取るんだもの、変わっていくのは当たり前。
幸い、変化はゆっくりなほうだと思うが、
いくら元気だと言っても、これからはなるべく実家に行く機会を作り、両親の暮らしぶりについて私も目を配らなくては。
いろいろ思うことの多い滞在となった。

一方、そんな私の思いを知るよしもない次男は全くお構いなしである。
祖父母というのは孫にとって無条件に甘えられる人たちであり、
祖父母の家はわがままが許される場所である。
次男が行けば近くに住む同じ年のいとこもやって来て、必ずや二人は向かうところ敵なしの最強コンビを組むこととなる。
どういうわけか、彼らはたまにしか会わないのに、いつでもとても気が合っている。
ケンカなんかしたことがない。
どちらかがなにかを我慢しているなんていう場面も見たことがないし、あるとすれば別れがつらくてしょんぼりしていたことくらいだ。
お互い6年生となったこの夏も、彼らは子犬のようにじゃれ合っていた。
幼いときからしてきたように、体をぶつけ合って遊んでも決してケンカになることはない。
ケガをしないうちに止めなさいと、周りの大人たちがいくら言っても聞かず、
目が合えば笑みを交わし、言葉さえも必要としない二人。
これがオレたちの流儀だと言わんばかりに、ただひたすらに戯れる。
まるで、もとはひとつだった半分と半分が、自分の片割れを見つけて引き寄せ合うような、二人の間には引力みたいなものを感じる。
友達とも兄弟とも違う、彼らのつながりを私はいつも不思議に思う。

次男とそのいとこ、つまり私から見れば甥であるが、二人は誕生日も近い。
次男が生まれて二週間ほどして甥が生まれ、二人は同じやぎ座である。
しかし同じ星座の生まれで同じ学年であっても、彼らは干支が違っている。
次男が生まれたのが年末で、甥が生まれるまでの間に年が明けてしまったからだ。
赤ちゃんのころによくしたしぐさが同じだったり、離れていてもシンクロすることの多かった二人。
同じ時期にマタニティ期間を過ごした私と義姉にしてみたら、二人の干支が違っていることのほうが違和感を感じるのだが、
でもその違いが、二人が違う人間であることの証として、それぞれの独自性を主張しているようにも思えてくる。
そうしないと、見分けがつかないほど同質な存在とでもいうか…
あー、なに言ってんだろ。わけわかんないcoldsweats01
えー。 コホン。
とにかく、どこか謎めいた因縁を感じさせる二人… ってことなのである。

私が自宅に戻ってからはいよいよ、彼らは二人して祖父母宅に君臨し、思いつく限りの遊びを繰り広げているのだろう。
それを呆れつつも喜びとしている私の父、母。
来春には中学に進む二人を「こんなことも今年までよ」と母は言うけれど。
実家に帰れば「娘」に戻るわが身を振り返るに、
彼らが二人そろうときにはきっといつまでも同じ空気がよみがえるような気がしてならない。

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