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2017年6月

よしなしごと

目を閉じて、自分の中の20年前の扉を開けると
夫と出会ったころの私がいる。
今よりも太った憎たらしいほど元気な義母と、穏やかに笑う義父。
まだ現役で仕事をしている。
そこにはキジオもナノコもいなくて、
お勝手口を出たところには夫の愛犬、家の中はといえば
義父にしか懐かない気位の高いネコが我が物顔に闊歩している。
20年前はあんなに元気だった義父も犬も義父のネコも、その後みんな逝ってしまって、今はもういない。
そして今と違うのは、子どもたちの姿もないこと。
彼らはまだ生まれていない。
今では二人とも、当たり前にうちの子をやってるけど
ほんとうにあなたたち、いったいどこからやって来たのよ?
同じ問いを、目の前のキジオにも投げてみるが、
きょとんとするばかりで返事はない。
太古の昔から、すべて生き物は生まれては死ぬもの。
死ぬということも分からないが、
生まれるって、いったいなんなんだろう。
いなかったものが生み出されて実存のものとなり、独自の意識を持ち、人格を形成し、同じように生み出されてきた他者と関わり合って生きていくって、
とてつもなくすごいことなんじゃないだろうか。

もしもタイムマシンがあって、50年前の世界に行ったらと想像する。
そこには私が存在しない。
そのあと私はどうやってかこの世に生まれて来て、いろんなアレコレを通って現在に至っている。
私はどこからやって来て、どのあたりから「私」になり、
「私」として生きるだけ生きた後はどこへ行こうとしているのか。
行くところなんてあるんだろうか。

この世は仮の宿という考え方もある。
生まれ変わりを信じる人も多い。
そんなふうに考えたら、大切な人との別れが来ても自分を納得させやすいし、自分に最期が近づいても次のステージがあると思えば不安も薄らぐかもしれない。
だけど。
死んだらどうなるかなんて、今生きている人はだれも知らない。
前世やら中間生やらの記憶を語る人が現れたって、それが本当だとはだれも証明できやしない。

だいたいね、魂なんていうものは存在するの?
心の働きは脳の機能によるものなんだからね。
脳細胞やら神経に電気信号や様々な伝達物質が行き来して
巻き起こす産物なんだから。
やがて肉体は滅びるから、そうしたら魂なんてものも泡と消えてなくなるのよ。
それが科学的な根拠のある考え方ってもんなのよ と
息巻いてみたところで、たとえば「脳死は人の死か?」なんて問題を突き付けられたら、すんなりとはその理論を受け入れ難いのも確かなのである。

そこで結論。
人が生まれること死ぬことの謎は永遠に解けない。
誰にも答えは決められない。
だからこそ、どう考えようとその人の自由である!
で。
私はどうしようか。
死んでしまったらそのときは、いっそゼロになるのもいいなぁなんて、ちょっと思ったりもする。
だって、魂が死後の世界も生きるのだとしたら、きっとあとのことが気になってどうしようもなくなるもの。
死んだあとくらいは、無責任にのんびりしたい。
今のところは、ね。

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