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2017年4月

義母の杖

わが家の玄関には、義母の杖が置かれている。
ここ数年、義母は外出時に杖を使うようになった。
80代も半ばに差し掛かった義母、杖なしには歩けないというわけではないが、まさに“転ばぬ先の杖”である。
義母がデイサービスを利用しているリハビリ施設からも、
通所のときに杖を持参するように言われている。
デイに杖を持って行くようになると、やはりほかにも同じような杖を持って来ている方がいるので、持ち主が分からなくなってしまわないように施設のほうで名前を印字したテープを杖に貼って下さった。
くっきりと大きく印字された名前のテープは杖の柄の部分に貼られ、とても目立つ。
少し離れたところからでも名前が読み取れるくらいだから、
これなら目のよくない人でも間違えることはないだろう。
ぼんやりした嫁に代わって持ち物の記名までしていただいて、
本当にありがたいことである。

しかし、私はちょっと気になっている。
その名前のテープには、義母のフルネームの下に「様」と書かれているのだ。
施設として、利用者に失礼のないようにとの配慮からだと思う。
ご丁寧な心遣いはありがたいと思うのだが、なにぶん杖は義母の私物である。
義母はその杖をデイのとき以外も使うのである。
自分の持ち物である杖に、自分の名前が「様」付きで書いてあるのを、義母は外出の際にどこへでも持ち歩くことになるのである。
やっぱりへんだよね…shock

そうは思うものの、義母本人は特に異論がないようだし、
せっかく貼っていただいたわけだし。
私さえ目をつぶっていれば問題はないことなので、
結局そのままになっている。
今後も当分の間、義母は「(フルネーム)様」と目立つように書かれたその杖を持って、お出かけすることになる。

まぁ、「様」のことは置いておくにしても、一見してだれにでも名前が分かってしまうことについて、それもちょっとどうなんだろうかと思う。
小学生だって名札をつけて歩かないこのご時世である。
個人情報保護の面で問題はないのだろうか。
くどいようだが、なにせその杖、日常的にどこへでも持って歩くのだから。

とはいえ、世の中にこれだけ高齢者が増えてくると、家族や身近な人間だけでなく、地域ぐるみで高齢者と関わっていくことも必要になってくる。
義母だって例外ではない。
なにかあったときに、名前の分かる持ち物を所持していることが逆に役に立つ場面だってあるかもしれない。
しかし、個人情報がだだ漏れになるというのは、やはりなにか危険な気もする。
だけど個人情報といっても名前だけだし、危険っていっても例えばどんな?
うーん、どうなんだろう…???

高齢者も、みんな人格を持った大人である。
そして、見知らぬ者同士も関わり合うのが人の世。
しかし現実に、悪いことを考える人間もどこかに存在する。
高齢者と個人情報というテーマは、本当に難しい。
とりあえずはもう一本、通所のとき以外で使う普段用の杖が必要だなぁと思う。
そして新しい杖には、目立たないところにこっそりと記名することにしようと、ぼんやりした嫁はぼんやりと考える。
もちろん、「様」はなしである。

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春なのに

子どもも中学生ともなれば生意気である。
とても生意気である。
いや、生意気なんていう言葉ももったいない。
小生意気なんである!

まぁ、親のほうもいけないと思うのは、ついベタベタ、手出し口出ししたくなること。
初めての中学校生活、あれはどうなの、これはこうなのといろいろかまい過ぎている。
上の息子のときよりも、下の息子に対しての方が、よりウザい母親に私はたしかになっている。
そういう自覚はあるものの、面と向かって「うるさい」と言われると、
ものすごく腹が立つのである。

冷静に考えれば、「うるさい」も思春期にはつきもの。
いつまでも母親べったりの男子というほうがどちらかというと問題があるのだろう。
ちゃんと年齢相応の成長段階に達していると思えばむしろ喜ばしいことではないか。
そんなふうに物分かりのいい母親ぶってみたところで、心の奥ではやはり淋しいのである。
子どもには、特に下の子には、いつまでも小さくて愛らしい子どもであってほしいような、子どもの成長を願う母親としてはどこか矛盾した願望が心に潜んでいる。
母にとっては最後の砦のような末っ子の存在。
あぁ、あなたまでどんどん大きくなってこの母から離れていくのね…
って! そりゃ、なるでしょ。
ならなきゃ困るでしょ!coldsweats01

実際、中学の服装に変わってから、子どものそうした傾向は顕著になったように思う。
最近までは親の目に無防備に晒していたLINEのタイムラインでの友達とのやりとりも、急に非公開設定にされてしまった。
まぁ、そうだよね と思うものの、急に壁を作られると、こじ開けたり乗り越えたりしたくなるのが母親っていう生き物なんである!

あぁ、母は哀しい。

その点、猫は違う。
猫は大人になっても猫である。
私の可愛いキジオは、大人になってもじーさんになっても、私の可愛いキジオである。
子どもは大きくなると小ナマ星人に生まれ変わってしまうけれど、キジオは私を裏切らない。
猫は癒しをくれる。
私にはもうキジオだけ。
仲良くしようね、キジオ。
満たされない気持ちを猫で満たすべく猫なで声で近づくも、いかんせん、キジオはだっこが嫌い。
並々ならぬ気配を察して、差し出した私の手からサッと逃れて行く。
猫にとっても愛情の押し売りはご免らしい。

あぁ、世の中春だというのに、やっぱり私はとても哀しい。

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