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2017年1月

幸せな悩み

以前に長男が小学校の卒業式に着たスーツをタンスから引っ張り出し、ぼんやりと眺めている。
どうしようかな と思いながら眺めている。
身長が合わないのだ。
あと二か月足らずで、次男も卒業式だ。
どうせ一度しか着る予定はないんだし、なんとか体に合うようにお直しして使うか。
でもせっかくの晴れの日に間に合わせの服というのもねぇ…
心の中のつぶやきは、さっきからずっと同じところを行ったり来たり。
考えがまとまらないまま、ただ目は人形のように吊り下げられた服を見ている。
 ぼくはただ見てる
 それをただ見つめてる
 鬼たちも笑う
 それをただ見つめている

PCの中の星野源が歌う。
私はチョコレートを一粒口に放り込み、なおもその黒の三つ揃えを見つめ、黙って鬼に笑われている。

そこへ当の次男が帰宅したので、私はおもむろに上着をハンガーから外し、スウェットパーカーの上から軽くはおらせてみる。
うん、袖、長い。
着丈も、長い。
でも思ったよりもぶかぶかではなかった。
「これでいいよ」と次男は言う。
そうだねっていう気になる。

このところ、私の気分は混沌としている。
実はこの年末年始を挟んで、父が入院していた。
さほど心配な病状ではなく、すでに退院もしている。
ただ、その間家に一人で過ごしていた母のことが気になった。
母は元来よく気が回り、明るくよくしゃべる人である。
そして、父の入院している間、母は普段にも増して饒舌で、忙しく過ごしているようだった。
電話をしても、会いに行っても、母はとても元気だった。
そんな母に接し、私は安心すると同時に少し心配になった。
母は意識下にも不安や寂しさと戦っている、そんな臨戦態勢にあるのではなかろうか。
父が退院し、いつもの日常が戻っても、時が後戻りするわけではない。
父も母も老いていく。
そう思うと、なんとも切ない思いがこみ上げる。

朝ドラ『べっぴんさん』で、江波杏子扮するジャズ喫茶の女主人が言っていた。
まさかこうして一人で生きていくことになるなんて。
女の一生なんて、分からないものだと。
人生を語るのに男も女もないと思うが、そんなセリフがやけにずっしりと響いてくる。
もし私が突然天涯孤独の身になったら。
脈絡もない空想の中で思う。
電球が切れても交換の仕方すらおぼつかない私が、一人で生きていくなんてできるんだろうか。
自分自身の不甲斐なさに打ちのめされながらも、改めて目の前のスーツを見やる。
本当に、子どもの卒業式の服のことで悩むことくらい幸せな悩みはないんだと思う。

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年末年始 雑感

年末の一連のバタクタを経て、新年を迎えた。
年が明けるということは、一つの大きな区切り。
そう思うからこそ、大忙しの年の瀬なのであり、
準備万端で迎えるからこそ、お正月を過ごす慶びもひとしおなのである。

とは言うものの、店も元日から初売りの始まるこの時代。
なにも大晦日に慌てて食料品を買いだめしなくたっていいのよねぇ
と毎年思う。
だけど、年末にあれやこれやと必要以上の買い物をすることも、
主婦の気分を高揚させる一つの要件になっている以上、
やめるわけにはいかない。

大掃除にしてもだ。
たかだか31日が、一日たって1日になるだけじゃないの
と思えばなにも、殺気立って家中を掃除してまわる必要などない。
いつも通りだって別にどうってことないのだ。
しかし、放っておけばダラっとしてしまう私のような怠け者には
こういうイベント的な要素は必要だ。
メリハリのない生活はきっと私という人間を腐らせる。
そうよ、新しい年を迎えるために身辺を清め、心機一転、仕切り直すのよ!
てなわけで、子どもたちも巻き込んでの大掃除大作戦が、この年末も繰り広げられたのだった。

そして待望の三箇日。
私はカシューナッツをつまみながらお屠蘇の盃を傾け、いつになく大きな満足感に浸った。
世の中がどう変わっても、やっぱりこのバタバタからのまったりという気分の大きな転換はお正月に欠かせない。

お正月準備といっても、本格的なおせち料理の用意はしないわが家である。
朝のお雑煮と、多めに作ったおしるこ。
買い込んだ食材を代わる代わる食卓に並べながらも、数の子と黒豆、かぶの酢の物、それに田作りだけは切らさない。
わが家のお正月はそんな感じである。
わが家というより、私の かな。
自分の好みと家族の需要を考慮した結果、こんなふうにまとまってきた。
嫁として義母の流儀を受け継ぐという要素は、ない。
だって、義母ときたら、「あら、このタケノコ、缶詰め?」なんて真面目に言う人だもの。
タケノコの水煮が真空パックされて一年中売っていることすら知らない人。
年末になると、それがスーパーで山積みされて売っているのも見たことない人。
これまでどうやって生きてきたんだろう。
さっぱり頼りにならない人。

おぉーっといけない、話題を変えよう。
正月早々お年玉を手にした次男、早速買い物に出かけた。
今年初の買い物は、ドラゴンボールヒーローズというゲームのライセンスカード。
先月おねだりされたが、私がダメと言ったもの。詳しくはこちらの記事をどうぞ。
やっぱりねー、とうとう買ったか。
次男には6年生になっても未だ、月々定額のおこづかいをあげていない。
高学年になったらと言っていたおこづかい制度だが、なんとなく延ばし延ばしになって現在に至っている。
もし既におこづかい制度を導入していて、毎月自由になるお金があるのだとしたら、そのカードはとっくのとうに手に入れていたに違いない。
親がいくら反対したって、ほしいものはほしい。
ま、仕方ないか。
でもあんまり、ゲームにお金をつぎ込むんじゃないよ と釘だけは刺しておく。
そんなの分かってるよ と本人は言うものの、その言葉をそのまま信じていいのかしら。
今一つ、信用のおけないところだが、いよいよ春からは中学に上がる次男。
おこづかい制度のこともいいかげん先延ばしにはできなくなった。
今年は本当に考えなくちゃ。
そんなことを思いながら、これから一年の間に起こりそうなあれこれを想像してみる。

大人になっての一年に比べ、子どもにとっての一年は大きい。
それこそどんどん変わっていく。
そういう時間の積み重ねがどれほど貴重なかけがえのないものか。
私自身、子どものときにはそれを全く意識しなかったように、
おそらく息子も全く気付いていないだろうけれど。
過干渉にならないことを心掛けながら、見守っていきたい母である。
しかし本当に我ながら、末っ子にはつい過保護になってしまっていけない。

そうそう、そういえば。
この年末に変わったことがひとつ。
例のごみ置き場に放置されていた仏壇こちらの記事に記載あり)が、とうとうあの場からなくなった。
ごみとして回収されていったのか、あるいはそのごみ置き場の管理者がなんらかの手段を講じたのか、消息は不明だが、
とにかく年越しを前にあの朽ちた仏壇はしかるべき場所へ運ばれ処分されたのである。
やはり、年が改まるタイミングというものは、過去に一切のケリをつけるときであるようだ。

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