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天の邪鬼

子どものころからずっと、赤やピンクが嫌いだった。
好きな色を選ぶように言われるときは、いつもだいたい寒色系か、
たまに黄色を選んでいた。
それが自分に似合いの色だと、心の底から思っていた。

時が過ぎて今、気付けば赤は嫌いじゃない。
あんなに毛嫌いしていたピンクも、けっこう好きになっている。
あれあれ? 私っていつからそうだったのかしら。

色についての記憶をたどると、まず思い出すのはランドセルの赤だ。
入学を数か月後に控えたある日、父方の祖父母から新品のランドセルが送られてきた。
そのことはとても嬉しかった。
祖父母のことも大好きだったし、小学校に上がることはとても楽しみにしていた。
だが、その私の心を曇らせたのは、ランドセルが赤いということ、ただその一点。

「ねぇ、なんで赤なの?」と口を尖らせる私に、
「だって、女の子は赤でしょ」と言う母。
そりゃあね、いくら小さくてもそれくらいは分かる。
周りを見ても、女の子はみんな赤いランドセルを背負っている。
当時、ランドセルの色といったら赤と黒に決まっていた。
知ってるけど… でも、私、ほかの色がよかった…
赤じゃないほかの色なら、男の子が持つ黒でもよかったのに。
子ども心にもそれ以上言ってはいけないと思い、不満の言葉を飲み込む。
地元の公立小学校ではなく、どこぞの附属小学校に通う制服姿の女の子が、学校指定の黒いランドセルを背負っているのを見たときには、羨ましさのあまりガン見してしまった私。
見られた子はさぞ気持ちの悪い思いをしたことであろう。

なぜそこまで、私は赤が嫌だったのか。
そのことについて、今まで考えたことはなかった。
ただ、私という人間は赤が嫌いなのだと思っていた。
さらにはそのついでのように、女の子の多くが好むピンクという甘ったるい色も、私には受け付けられないのだと思っていた。
私は、赤とかピンクとか、そういういかにも女の子女の子したものとは無縁の人間なのだと、心の奥底で密かにうそぶいていたのだった。

しかし、である。
赤やピンクをそんなにも自分から遠ざけていたのは、実は色そのものが嫌いだったわけではないということに、ごく最近気が付いた。
私は、赤やピンクが嫌いなのではなく、女の子はこの色と決めつけられることが嫌だったのだ。

思えばランドセルだけではなかった。
洋服や他の持ち物も、周りの大人が選んでくれるものはいつも赤で、そこに幼い子どもが自分の好みを主張する余地はなかった。
それも仕方がないことだったと今は思う。
そういう時代だったし、今のようにいろいろな色を選べるほど多彩な商品もなかった。
それにもし、そのときの私がどうしても黒のランドセルにすると言って譲らなかったとしても、弁当箱の二の舞になるだけだったろう。

赤が嫌いだったわけじゃなかったんだということが分かって、
いま私は、からまっていたものがほどけたような、引っかかっていたものがすっと腑に落ちたような、爽快な気分である。
赤やピンクを拒絶する一方で、それに相反する気持ちがいつも心のどこかにあり、けれども自らその気持ちを強く打ち消す といった複雑な心の動きが、今から思うと私の中にはあったように思う。
自分自身のことなのに、それが分かるまでに40年もかかるなんて
本当におかしな話だけれども。

私が今の時代の子どもだったなら と想像する。
ずらりと並んだ色とりどりのランドセルを前に、さぁ好きな色を選びなさいと言われたら。
以前の私なら、水色のランドセルと答えただろう。
でも、自分の本当の気持ちを知った今は少し違う。
たくさんの色の中から選べるのだとしたら、敢えて私は赤を選ぶのかもしれないと思うのである。

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