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作文の思い出 (2)

作文といえばもう一つ思い出すのが、長男の作文の宿題である。
今は高校生の長男がまだ小学3年生のとき、2~3ヵ月に亘って毎週金曜日に作文の宿題が出たことがあった。
テーマは自由、たしか原稿用紙2枚程度の作文を翌月曜日までに書いてくるという宿題だ。
これには全く、ひどい目にあった。
要領のいい子どもならなんということもない宿題なのかもしれないが、私同様に作文が大の苦手だった長男は週末になると頭を抱えていたのだった。
初めはそんなに毎週宿題が出るとは思っていなかったので、なんとか書き上げた作文を学校に持たせ、私もやれやれと肩の荷を下ろしたのだが、
ホッとするのも束の間、また金曜日が来ると同じ宿題が出される。
その頃は金曜日のたびに、
「え?またなの?」
「今週もなの?」
「また作文の宿題あるんだよね…」
暗い顔でうなだれる長男とともに、私までどんよりsweat02

習うより慣れよということだったのだと思う。
難しく考えなくても、思いついたことを好きに書けばいい。
数をこなしていくうちに、文を書くコツも分かってくるだろうし、
毎週書くのだと思えば普段の生活の中で題材を探そうとする目が養われ、自然とものごとを深く考えるようにもなる。
きっと先生の狙いはそんなところにあったのだろう。
そうは思っても、現実には作文嫌いの子どもにとって、毎週の宿題は拷問に等しい。
理想的な筋書き通りにはいかないのである。

そうやって、作文に縛り付けられる週末がしばらく続いた。
なにか題材にできるような目立った出来事があるときは、けっこうすんなり書くのであるが、書くことが思い浮かばないときの苦痛なこと!
それでも長男はがんばっていた。
白い原稿用紙の前で、机にかじりついて、がんばっていた。
なにかヒントになればと思い、こんなのはどう?あんなのは?と提案してみても、長男は「う~ん…」と唸っているだけ。
自分の中から出て来るものでなくては、文章に起こすのは難しいようだった。

その宿題さえなければ自由に楽しく過ごせるはずだった休日。
それと引き換えにするほどの価値が、作文にあるのだろうか。
書く力の重要性は理解しているつもりの私である。
もちろん、回数を重ねることで伸びてくる子もいるだろう。
しかし、作文に休日のすべてを費やし、苦しい思いをしていた長男を見ていると、3年生の子どもにただ書くことを無理強いするより、ほかになすべきことがあるようにも思われた。

作文の宿題が始まって、5、6週間たったころだろうか。
土曜日、日曜日と二日間机に向かっても、まるっきり書けない週があった。
あまりにもつらそうで見るに忍びなくなった私は、今週は宿題を休もうと長男に言った。
「お母さんがそう言ったって、先生に言ってもいいから。」
と、そう言ったが、ガンとして聞かない長男。
クラスのほかの子たちはどうなんだろうと思い訊いてみると、提出していない子もけっこういるらしい。
「じゃあ、なおさらだよ。これまで毎回出してきたんだし、一回休もうよ。」
いつもなら絶対に言わないような私の言葉にも首を縦には振らない長男。
頑固だcoldsweats01 偉かったけどcoldsweats01
そして、その日は夜遅くまでかかって、とうとう作文を書き上げたのだった。

翌月曜日、長男が学校から帰ると私は真っ先に言った。
「どうだった?作文、出した?」
すると、思いもよらない答えが返ってきた。
書いて来なかった子があまりにも多くて提出期限が延びたのだそうだ。
はぁ!?coldsweats02
それで、なに、集めてもらえなかったの?
持って帰って来ちゃったの?
あんなに苦労して書いたのにぃ!?
そのときほど、教師に対して怒りを感じたことはない。
長男を含め、少数であってもきちんと宿題をやってきた子もいたんだろう。
なぜ、その子たちの宿題を受け取り、ほめてやらないのだろう。
大いにほめてやるべきだ。
作文の苦手な子が、いったいどんな思いで取り組んでいたか、
その先生は何も分かっていないのだ。
なんだか涙が出そうなほど悔しくて、学校に怒鳴り込んでやろうかとさえ思った。
あとになって考えてみれば、うちの子をもっとほめてやってくれと逆上して訴える自分の姿を想像してみるに、まぁ行かなくて正解だったとは思うのだが、
私としてはそれほどの思いだったのである。

一度そんな気持ちを抱いてしまうと、いろんなことが気に入らなくなってくる。
だいたい、テーマは自由なんていうのがいけない。
自由だからこそ余計に、テーマが決められなくなるんじゃないの!
「作文」というだけで身構えてしまう子どもに、テーマを選ぶところから自分で考えるというのは、思ったほど簡単なことではない。
それに、書いたものがなんらかの形でフィードバックされるのでなければ「指導」にならないはずなのだが、提出した作文は提出したっきりで、先生のコメントどころか返却もされてはいなかった。
それでは子どもだって、せっかく作文を書いても、なんの張り合いもないではないか。

近年、入試の傾向を見ても、考える力や論述の力が重視されてきている。
作文指導も力を入れて行かないといけないのも分かるが、
子どもたちはそれぞれのバックヤードで育ち、資質も経験も異なり、とにかく個人差が大きい。
どの子の力も伸ばそうと思ったら、そこは教師としての力量が最も問われるところだと思う。
むやみやたらに書かせても、作文嫌いの子どもの苦手意識を助長するだけで、あまりいい結果を生むとは思えない。

 

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