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作文の思い出 (1)

変われば変わるもので、今でこそ好きでこうしてブログに文章を綴っている私であるが、子どものころは作文が大の苦手であった。
作文の授業や宿題が、ほんとに死ぬほどいやだった。
何がそんなにいやかって、書くことがないことだ。
小学生に課せられる作文と言ったら、たいてい原稿用紙2、3枚。
今にして思えば大した量ではない。
でも当時の私には、それがとてつもない重荷だった。
原稿用紙が配られ、級友たちが一斉に鉛筆を走らせるかすかな音を聞きながら、私はいつも途方に暮れ、壁にかけられた時計の針を見つめていた。

運動会の思い出や将来の夢について、あるいは本やお芝居の感想といったテーマを与えられて文章をサッと書きだせる子どもは、日ごろから豊かな感受性を育んできたのだろう。
打てば響くような瑞々しい心の動きが言葉を紡ぎ出す。
しかし、私のようにぼんやりした子どもは、自由に思うことを書けと言われても、いったい何を?と思うのだし、
心に残ったことをと言われても、はて?なんだったかな?となるのである。
書きたい、伝えたいと思うことが心になかったから書けなかったんだなぁ と今はそれが分かる。

しかし、それが課題である以上、なにか形にして提出しなければならない。
私が苦しみながらひねり出して書いたものは、自分の感想や考えというよりも、その場で求められる答えだった。
要するに、きれいごとを並べたおりこうさんの文章。
自分の本音がどこにあるかも分からないのに、それでも尤もらしい建て前を、要求された字数だけ書き連ねていただけ。
そんな自分を振り返るにつけ、作文指導はその前に心が育っていることが前提条件なのだと思う。
文章を書くということは、内面にあるものに形を与える、ひとつの表現活動にほかならないのであるから。
まぁ、そうはいっても教室での一斉指導の中では、一人一人の心の中をのぞくことまではできないので、まずは作文をやらせてみるしかない。
個人差のある子どもたちに、他者に伝わる文章力をつけさせるには継続したトレーニングが必要なのだろうし、また作文をきっかけに物事を深く考えるという側面もあるだろう。
現実はいろんな制約を受けながら、理想を目指すのだ。

あるとき、小学校中学年のころだったか、
椋鳩十のお話を読んでの感想文を書くという課題が出された。
タイトルは何だったか、確かツキノワグマのお話である。
例によってどうにかこうにか原稿用紙のマスを埋めて提出した私のそのときの作文が、次の国語の時間に取り上げられ、みんなの前で添削指導を受けたことがあった。
本当にはそれほど強く思っていないことを少々大げさに脚色してまとめ上げた稚拙な文章。
それを綴った私の文字がOHPでスクリーンに大きく映し出され、先生がペンを入れていくのがなんとも照れくさいやら恥ずかしいやら。
自分が何を書いて何を直されたかほとんど覚えていないが、概ね褒めてもらえたのだと思う。
ただ、ラストの一文。
これだけはとてもよく覚えているのだが、作文の一番おわりに
「この話はとてもいいお話だと思いました。」と私は書いた。
字数が足りなかったので、字数を稼ぐために、あまり意味のないその一文を付け加えたのだった。
それを先生は、いい話だと思ったからこそ感想文を書くのだから、この一文はなくていいと、そう評された。
それを聞いてモヤっとした子どもの私。
べつにいいお話だと思ったからこの作文を書いたわけじゃない。
書けと言われたから書いたまで。
先生が原稿用紙2枚は最後まで必ず埋めろって言ったんじゃないの!
なんて矛盾したことを言うんだろう。

いえ、特に、私はその先生を嫌っていたんじゃないし、自分で作文に「いいお話だ」と書いておきながらそう言うのもナンだけどcoldsweats01
先生のおっしゃっていることだって、まぁ分からないではなかったが、でも私は私で課題に付された条件をすべて満たそうとしたわけで。
つまりは見解の相違。
それに、授業で書く作文には自由がないということをそのときの私は漠然と感じ取ったのだ。
だって、この物語、ええ話やろ?感動したやろ?これならいい感想文が書けるやろ?って無言のうちにも子どもにプレッシャーかけているような状況だもの。っていうかなんで関西弁?(笑)
そりゃあね、椋鳩十さんの動物もののお話は、どれも愛情にあふれた泣かせる話ばかりだけれども、それを読んだらすべての人が涙して人間としての生き方を己に問うのでなければならないと決めつけられる筋合いはない。
もしも、動物というものは本能に従って生きているに過ぎず、それを作者が勝手に美化して感動的な物語に仕立て上げ、自分に都合が良いように動物をダシに使っている とでも書く辛口の小学生がいたならば、いったいどういう扱いを受けたのだろう。

かつてのおりこうさんだった小学生は、アラフィフになった今、そんなことを想うのである。

 

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