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2016年6月

作文の思い出 (1)

変われば変わるもので、今でこそ好きでこうしてブログに文章を綴っている私であるが、子どものころは作文が大の苦手であった。
作文の授業や宿題が、ほんとに死ぬほどいやだった。
何がそんなにいやかって、書くことがないことだ。
小学生に課せられる作文と言ったら、たいてい原稿用紙2、3枚。
今にして思えば大した量ではない。
でも当時の私には、それがとてつもない重荷だった。
原稿用紙が配られ、級友たちが一斉に鉛筆を走らせるかすかな音を聞きながら、私はいつも途方に暮れ、壁にかけられた時計の針を見つめていた。

運動会の思い出や将来の夢について、あるいは本やお芝居の感想といったテーマを与えられて文章をサッと書きだせる子どもは、日ごろから豊かな感受性を育んできたのだろう。
打てば響くような瑞々しい心の動きが言葉を紡ぎ出す。
しかし、私のようにぼんやりした子どもは、自由に思うことを書けと言われても、いったい何を?と思うのだし、
心に残ったことをと言われても、はて?なんだったかな?となるのである。
書きたい、伝えたいと思うことが心になかったから書けなかったんだなぁ と今はそれが分かる。

しかし、それが課題である以上、なにか形にして提出しなければならない。
私が苦しみながらひねり出して書いたものは、自分の感想や考えというよりも、その場で求められる答えだった。
要するに、きれいごとを並べたおりこうさんの文章。
自分の本音がどこにあるかも分からないのに、それでも尤もらしい建て前を、要求された字数だけ書き連ねていただけ。
そんな自分を振り返るにつけ、作文指導はその前に心が育っていることが前提条件なのだと思う。
文章を書くということは、内面にあるものに形を与える、ひとつの表現活動にほかならないのであるから。
まぁ、そうはいっても教室での一斉指導の中では、一人一人の心の中をのぞくことまではできないので、まずは作文をやらせてみるしかない。
個人差のある子どもたちに、他者に伝わる文章力をつけさせるには継続したトレーニングが必要なのだろうし、また作文をきっかけに物事を深く考えるという側面もあるだろう。
現実はいろんな制約を受けながら、理想を目指すのだ。

あるとき、小学校中学年のころだったか、
椋鳩十のお話を読んでの感想文を書くという課題が出された。
タイトルは何だったか、確かツキノワグマのお話である。
例によってどうにかこうにか原稿用紙のマスを埋めて提出した私のそのときの作文が、次の国語の時間に取り上げられ、みんなの前で添削指導を受けたことがあった。
本当にはそれほど強く思っていないことを少々大げさに脚色してまとめ上げた稚拙な文章。
それを綴った私の文字がOHPでスクリーンに大きく映し出され、先生がペンを入れていくのがなんとも照れくさいやら恥ずかしいやら。
自分が何を書いて何を直されたかほとんど覚えていないが、概ね褒めてもらえたのだと思う。
ただ、ラストの一文。
これだけはとてもよく覚えているのだが、作文の一番おわりに
「この話はとてもいいお話だと思いました。」と私は書いた。
字数が足りなかったので、字数を稼ぐために、あまり意味のないその一文を付け加えたのだった。
それを先生は、いい話だと思ったからこそ感想文を書くのだから、この一文はなくていいと、そう評された。
それを聞いてモヤっとした子どもの私。
べつにいいお話だと思ったからこの作文を書いたわけじゃない。
書けと言われたから書いたまで。
先生が原稿用紙2枚は最後まで必ず埋めろって言ったんじゃないの!
なんて矛盾したことを言うんだろう。

いえ、特に、私はその先生を嫌っていたんじゃないし、自分で作文に「いいお話だ」と書いておきながらそう言うのもナンだけどcoldsweats01
先生のおっしゃっていることだって、まぁ分からないではなかったが、でも私は私で課題に付された条件をすべて満たそうとしたわけで。
つまりは見解の相違。
それに、授業で書く作文には自由がないということをそのときの私は漠然と感じ取ったのだ。
だって、この物語、ええ話やろ?感動したやろ?これならいい感想文が書けるやろ?って無言のうちにも子どもにプレッシャーかけているような状況だもの。っていうかなんで関西弁?(笑)
そりゃあね、椋鳩十さんの動物もののお話は、どれも愛情にあふれた泣かせる話ばかりだけれども、それを読んだらすべての人が涙して人間としての生き方を己に問うのでなければならないと決めつけられる筋合いはない。
もしも、動物というものは本能に従って生きているに過ぎず、それを作者が勝手に美化して感動的な物語に仕立て上げ、自分に都合が良いように動物をダシに使っている とでも書く辛口の小学生がいたならば、いったいどういう扱いを受けたのだろう。

かつてのおりこうさんだった小学生は、アラフィフになった今、そんなことを想うのである。

 

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朝のひととき

今日は朝食におしるこを食べました。
“おしるこ”でピ~ンと来た、そこのアナタ!
見てますね?朝ドラ(笑)

先週は、ヒロイン常子とハッパのあんちゃんこと星野青年の
涙のお別れがありました。
うーん、せつない…weep
二人の日曜日恒例おしるこデート、古風でよかったんだけどなぁ。
おしるこが好きという星野青年の設定につられて、
そういえば小豆があったなぁなんてことを思い出し、
季節外れな感じだけど作ってしまいましたよ、おしるこ。

「ぼくを作物だと思って、肥料をやるようになんでも言ってください」という一風変わった植物オタク帝大生と、それを聞いてコロコロ笑う大らかな性格の主人公。
絶対にお似合いのカップルです。
はにかんだ笑顔が魅力の星野青年はプロポーズもなかなか切り出せず、視聴者は散々じれじれさせられましたが、それには大阪で研究者になるという自身の事情もありました。
そりゃあ、常子は父代わりの「とと姉ちゃん」であるからして、
二つ返事で結婚を承諾して大阪に なんていうわけにもいかないんだけどさぁ。
今の世なら、妹たちが学校を出るまでは共働きの遠距離婚っていうのだって
普通にアリなのに。
時代が違うよのねぇ、時代が。
それに、だいたい、ととが悪い!
ととが死んだら、ととの代わりになって家族を支えてくれなんて、
そんなこと娘に言っちゃいけないよねぇ…
と、さまざまなモヤモヤを抱えながら、おしるこのお餅をつつく私。
今週は、さらに過酷な展開が常子を待ち受けておりました。
戦争が人々の生活に暗い影を落としていた当時、女性が社会に出るということも風当たりの厳しい時代でした。
仕事帰りに誘われて立ち寄ったビアホールで酔っ払いに絡まれ、
信じていた同僚には裏切られ、職を失うことになった常子。
住み込み先の弁当屋も経営が立ち行かず、かかのお給金がもらえなくなる中、一家の大黒柱として気持ちも新たにがんばろうとしていた矢先のことでした。
朝ドラのヒロインは逆境に強いはず… とはいえ、
なんてひどい!
自分がクビになりたくない一心で嘘をついた同僚の「小橋さんならわかってくれるでしょう?」というセリフは、あまりにひどすぎる。
これは立ち直れんよなぁ…think
同僚の役名、多田カオルだったか。
あんたねぇ、いくらなんでもそれはないでしょ!
いや、だけど、彼女だって根は悪い子じゃない。
彼女にそんなことをさせる状況こそを憎むべきなのか。
あぁ、モヤモヤMAXsign03
せっかくのおしるこの味が。
すっかりまずくなってしまった…。

それにしても。
常子にとって、そして常子に感情移入する視聴者にとって一つ救いだったのは、ビアホールで志田未来ちゃん扮する「おリュウ」に助けられたことでした。
どこからともなく颯爽と現れて、酔っ払いどもを叩きのめして去って行く、これぞ正義の味方!
その衣装と言い、身のこなしと言い、私は一瞬、
月光仮面かと思いましたよ(笑)
その登場には、はっきり言ってかなりの違和感がありましたけど、
この際許します!
このドラマのどうしようもなくモヤモヤする展開に、見事に風穴あけてくれました。
おかげで、そこだけちょっとスッキリcatface
次はどんな活躍を見せてくれるのか、密かに期待しております。
もう、バッサバッサやっちゃってほしいなぁ。
そんなふうに思う私、ストレスためてるのかなぁ?なんて、ちょっと(^^;)

 

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洗濯

結婚した当初、私はあらゆる家事の中で洗濯がいちばん嫌だった。
もちろん、洗うのは洗濯機がやってくれる。
全自動だから洗剤を入れてスイッチぽん!で簡単らくらくなのはいいけれど、洗い終わった洗濯物を干す、取り込む、たたむ と作業が何段階もあるのが面倒くさくてならなかった。
しかし、それも毎日やっているうちに、それほど苦にならなくなった。
それどころか、今や私にとって最もこだわりをもって行う作業になっているのである。

例えば体調が悪いとき、夫が家事を代わってくれる。
そのことはたいへんありがたい。
食事がカレーライス一品であっても、あるいはスーパーのお惣菜であっても、自分が台所に立たなくていいというのはひらすらありがたい。
そのありがたいはずの夫の好意が、洗濯のことになると全く違ってくる。
「洗濯しといたよ」と夫に言われると、えーっcoldsweats02 と思う。
ベランダに干してあるのを見に行って、やっぱり!bearing と思う。
ありがとうと言うべきところなのは頭では分かっているが、
「洗濯は私がやるから、やらなくていいよ」と口が言ってしまう。
あぁ、これって夫婦のすれ違いの典型的パターンだわね…

夫の洗濯のなにがそんなに気に食わないかというと、大雑把なのだ。
洗濯は洗濯機に洗濯物を放り込んで回せばいいと思っている。
衣料品の種類に応じて洗剤を使い分けたり、洗濯ネットを使ったり、主婦はこれでもいろいろ気を使っているのだ。
そして、なにより一番私の気に障るのは、干してある洗濯物がヨレっとしているところ。
ヨレヨレのまま干すと、ヨレヨレのまま乾いて、全部ヨレヨレになっちゃうのよー!
そんなことに目を吊り上げて怒ってしまう自分も大人げないとは思うのだが、どうしてもそこだけは譲れない。
なので、私はどんなに体がつらいときでも立って歩ける限りは、自分で洗濯するようにしている。

自分でも不思議だが、そのほかのことではどちらかというと大雑把な私なのに、なぜ洗濯物のことだけはそんなに神経質になるのだろう。
いつも忙しい私の母は、洗濯に関してはかなり大雑把だった。
そんなことに時間をかけてはいられないというふうだった。
だから、洗濯物がしわしわに仕上がっているのもしょっちゅうだったし、Tシャツの首が伸びてしまうのも、ジーンズの色がムラになってへんな筋がついてしまったりするのも、私は気に入らなくていつも母に文句つけていた。
だから、実家では家事など全くしなかった私も、自分の服だけは自分で洗濯したものである。
私の洗濯へのこだわりは、そのころから既に始まっていたんだなぁと今あらためて思う。

母が洗ったしわしわの洗濯物への反発。
私の心の中にそれを巻き起こしたのは、祖母と過ごした経験も大きかった。
小学生の頃、週末になると私はしょっちゅう祖父母の家に泊りに行っていたのだった。
祖母は若いころ広島で被爆し、それ以来身体があまり丈夫でなくなったらしい。
そのため、私はお手伝いと称して遊びに行くのをとても楽しみにしていた。
祖母が掃除をしている姿は見たことがなかったが、よく洗濯はしていたのを覚えている。
洗濯物が洗い上がると、祖母は洗濯機から洗濯物を一つ一つ取り出し、パンパンと音を立てて丁寧にしわを伸ばし、形を整え、キチっとたたんだ。
そして、たたんだ洗濯物をダイニングの椅子の上に積み重ねて一番上に座布団を乗せ、その座布団の上に自分が座る。
そうやって10分くらいテレビなど見ていて、それから洗濯物を干しに行く。
数時間後、乾いた洗濯物はピシっとしていて、それがとても気持ちいい。
取り込んだ洗濯物を、私も祖母と一緒にたたんだ。
今も私の靴下や下着のたたみ方は、祖母仕込みの方法である。
親子でも祖母と母は全然違うことが子どもながら不思議だったが、
考えてみれば母と私もまた違うのだ。
それぞれ得意分野があり、それぞれの価値観がある。
とにもかくにも、祖母の洗濯へのこだわりは孫の私に引き継がれたのである。

毎日毎日、どんどん出てくる家族の洗濯物の山にうんざりする日もあるけれど、パリっと仕上がった洗濯物は私に満足感を与えてくれる。
祖母のように洗濯物の上に座ったりまではしないけれども、一枚一枚丁寧にしわを伸ばすそのひと手間だけは惜しまない。
年を取っていろんなことができなくなっても、きっと私はそこだけはこだわりつづけていくに違いない。

 

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