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五年

次男の通う小学校の卒業式が目前となった。
5年生の次男は、在校生代表として式に参列する。
もう、そんな年になったのねぇ という親としての感慨にふける今日この頃である。

もちろん、卒業式の主役ではない今年、
思わず感涙というほど思いが盛り上がっているわけではない。
ただ、震災からも5年の節目に当たり、テレビでも当時から今に至る復興の歩みを振り返り、被災地の今を伝える番組が放送されていたのに触れ、自然と当時のことが思い返されるのであった。
そのときのことを記した過去記事、「3.11 心象の記録その1~その3」も読み返してみた。
5年前の出来事がまるで昨日のことのように鮮明に思い出され、脳の中心がキュッと引き締められるような緊張感までがよみがえってくる。
まだあどけなさの残る少年だった長男と、本当に小さく幼かった次男。
あのときの子どもたちの姿は今も目に焼き付いている。

被災地から遠く離れたところにいる私がそうなのであるから、
実際に被災された方たちの心中は、想像を絶するものにちがいない。
心の復興ということが言われているが、生易しいものではないのだ。
テレビで見る被災者の方たちの笑顔や前向きな発言の裏には
おそらく、測り知れない苦悩が隠されている。
大切なものを失って一度は絶望のどん底に沈められ、しかし迷いながらも明日に光を見ようとする。
なんと誇り高い生き方だろう。
あまりに深い哀しみから今も抜け出せないという人も、毎日必死に自分を奮い立たせている。
なんと健気でひたむきな生き方なんだろう。
これまでの5年という時が人々に課してきた重みが、今後少しでも軽くなっていくことを切に願う。
そして、そこまでの深手を負うことなく生きて来られた私は、本当に恵まれているのだということを決して忘れてはならないと思う。

そんな思いに囚われながら、改めて次男を見やる。
あの地震の時に着ていた幼稚園の制服を脱ぎ、小さい体に大きなランドセルを背負って駆け回っていた姿を思い出すと、5年生の今はとても大きくなったと思う。
ただ友達に囲まれていればよかった当時に比べ、友人関係に悩んだり、そういう自分の気持ちの変化に戸惑ったりしている今、成長したんだと思う。
宿題を忘れていたことに気が付いて、夜遅く泣きながらやったこともあったのだが、
忘れていたのに気付いても、平然と黙って早朝にササッと片付ける術を最近では身に付けた。
ま、宿題は忘れないようにするべきだが、そんなときの対処一つも進歩するものだ。
5年の月日は、子どもをこれだけ成長させてくれた。
4月からは6年生だね と声をかけると、
「別に6年になっても、なにも変わらないよ」と次男は言う。
そうね と言葉を返しつつも、一年先には今よりさらに一歩進んでいることを期待したい。
卒業式の日に今の6年生たちの凛とした姿をその目で見て、
一年後の自分を思い描いてみてほしい。

 

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