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2016年3月

交通安全

お天気がいいのでたまには歩こうと思いまして、
近所のドラッグストアまで行った帰りのことです。
荷物をぶら下げた両手をぶ~らぶ~らしながら歩道をのんびり歩いておりましたら、後ろから来た自転車に乗ったおばさんの邪魔になってしまいました。
なんて言ってる自分もおばさんなんですけどねcoldsweats01

ま、そこはいいとして。
いくらお散歩気分だからって、天下の公道をワガモノ顔に歩いちゃいかんわsweat02と反省しているのはもちろんなのですが、
でも、たしか自転車って車道を通ることになったんでしたよねぇ?
ネットで確認したところ、道路交通法上は車両と位置付けられている自転車は、車道の左側を通るのが原則だそうです。  政府広報オンライン参照
そうはいっても例外もあり、13歳未満の子どもや70歳以上の高齢者、それに身体の不自由な方も、歩道を通っていいことになっていますし、また、交通の状況でやむを得ない場合も例外が認められます。
私が出会ったおばサマも、やむを得なかったってことならまぁ、違反とは言えないわけですね。
・・・ってことは、どっちかというと、原則が守られることより、むしろ例外の場合の方が多いくらいなんじゃないでしょうかsign02

日本の道路って、自転車には走りにくいようにできていますよね。
自転車専用レーンなんて、うちの近所には見たことありませんし、
車道と歩道の区別がない道路はともかく、
歩道のある道路なら自動車の交通量も多く、路肩を自転車で通ろうとすると危険を感じます。
自分が車を運転しているときだって、路肩に自転車がいると怖いですし。

ここまで書いて思い出すのは、懐かしい私の高校時代です。
いや、ほんの30年前ですよ、ほんの!(笑)
自宅から学校まで3キロほどの道のりを3年間自転車で通いました。
ほんとにあの頃は、あと10分の早起きができず(今もか…coldsweats01)、
自転車通学はまさに時間との戦い。
いかにタイムロスなく自転車を走らせ、チャイムギリギリに教室に滑り込むかということに挑む毎日でした。
ですので、デコボコの多い歩道なんぞを悠長に走っている余裕はなく、車道の路肩をまっしぐらに駆け抜けていました。
途中、路線バスや大型トラックのわきも難なくすり抜け、いかに赤信号に引っかからずに学校まで辿りつけるか。
思えばなんてハードボイルド…
もとい、ずいぶん危なっかしいことしていたんですねsweat01
周囲のドライバーさんたちにも、きっとヒヤヒヤされながら。
今にして、ごめんなさ~い!!
そんな過去を振り返ってみても、自転車が車道を走ることが安全だなんて、やはり思えないのですが。

交通ルールはそもそもすべての人が安全に過ごすためのものですから、
原則は原則として、その場その場で安全を優先することが大切です。
自転車はどこを走っても歩行者優先を忘れず、自分の安全も確保しなければなりません。
特に時間の余裕はそのまま心の余裕につながりますから、
昔の私のように一分一秒を競うロードレースまがいのことは、絶対にやってはいけません。
そして、歩く場合でも、周囲の邪魔になるようなことは、やっぱりダメですね、はい。
以後、気を付けます~coldsweats01

 

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五年

次男の通う小学校の卒業式が目前となった。
5年生の次男は、在校生代表として式に参列する。
もう、そんな年になったのねぇ という親としての感慨にふける今日この頃である。

もちろん、卒業式の主役ではない今年、
思わず感涙というほど思いが盛り上がっているわけではない。
ただ、震災からも5年の節目に当たり、テレビでも当時から今に至る復興の歩みを振り返り、被災地の今を伝える番組が放送されていたのに触れ、自然と当時のことが思い返されるのであった。
そのときのことを記した過去記事、「3.11 心象の記録その1~その3」も読み返してみた。
5年前の出来事がまるで昨日のことのように鮮明に思い出され、脳の中心がキュッと引き締められるような緊張感までがよみがえってくる。
まだあどけなさの残る少年だった長男と、本当に小さく幼かった次男。
あのときの子どもたちの姿は今も目に焼き付いている。

被災地から遠く離れたところにいる私がそうなのであるから、
実際に被災された方たちの心中は、想像を絶するものにちがいない。
心の復興ということが言われているが、生易しいものではないのだ。
テレビで見る被災者の方たちの笑顔や前向きな発言の裏には
おそらく、測り知れない苦悩が隠されている。
大切なものを失って一度は絶望のどん底に沈められ、しかし迷いながらも明日に光を見ようとする。
なんと誇り高い生き方だろう。
あまりに深い哀しみから今も抜け出せないという人も、毎日必死に自分を奮い立たせている。
なんと健気でひたむきな生き方なんだろう。
これまでの5年という時が人々に課してきた重みが、今後少しでも軽くなっていくことを切に願う。
そして、そこまでの深手を負うことなく生きて来られた私は、本当に恵まれているのだということを決して忘れてはならないと思う。

そんな思いに囚われながら、改めて次男を見やる。
あの地震の時に着ていた幼稚園の制服を脱ぎ、小さい体に大きなランドセルを背負って駆け回っていた姿を思い出すと、5年生の今はとても大きくなったと思う。
ただ友達に囲まれていればよかった当時に比べ、友人関係に悩んだり、そういう自分の気持ちの変化に戸惑ったりしている今、成長したんだと思う。
宿題を忘れていたことに気が付いて、夜遅く泣きながらやったこともあったのだが、
忘れていたのに気付いても、平然と黙って早朝にササッと片付ける術を最近では身に付けた。
ま、宿題は忘れないようにするべきだが、そんなときの対処一つも進歩するものだ。
5年の月日は、子どもをこれだけ成長させてくれた。
4月からは6年生だね と声をかけると、
「別に6年になっても、なにも変わらないよ」と次男は言う。
そうね と言葉を返しつつも、一年先には今よりさらに一歩進んでいることを期待したい。
卒業式の日に今の6年生たちの凛とした姿をその目で見て、
一年後の自分を思い描いてみてほしい。

 

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SYMPATHY

わが家にはキジオとナノコという猫が二匹いるわけですが、
とにかく私は、キジオがかわいいんですsign01
キジオがかわいくてかわいくてならんのですsign03
自分のペットがかわいいのは当たり前、なにをそんなに息を荒くして騒いでいるのかとお思いでしょうが、まぁ聞いてください。

確かにナノコもかわいいんですけどね、
キジオはなにかが違うんです。
なんにも言わなくても(ま、猫ですから言っても「にゃあ~」くらいですけど)
気持ちがぴったり重なると言いますか。
もしも世界で誰一人信じられなくなったとしても
キジオだけは信じられると言いますか。

なんでしょうね、この感じ。
だいたい私は元来、無類の猫好きというわけでもなく、
猫一般に慣れてもいないので、
よその猫だったら、まず触ったりしません。
うまく言えないんですが、
猫だからキジオが好きというのとはちょっと違うんです。
言うなれば、魂が近いところにいる特別な存在とでも申しますか…

キジオがわが家にやって来た経緯については
以前にも書きました。(よろしければ、のらねこ物語(1)をどうぞ!)
あのとき、ケガで入院していたキジオを獣医さんまで迎えに行き、
車で家まで連れ帰ったのは私だったんですが、
実はその直前、私自身も虫垂炎で入院していたのです。
その日は夫が仕事の都合でどうしても体が空かず、
手術の傷が完全に癒えないまでも日常生活に戻っていた私が
キジオを迎えに行きました。
初めての入院生活を味わったキジオはあのとき、
私の体からも同じ病院の匂いを、そして傷ついた血の匂いを
嗅ぎ取ったのではなかろうか?
先日、ふと、そんなことを考えました。

キジオが家族のほかのだれよりも
私に心を寄せてくれているように見えるのも、
私がキジオの存在をとても近くに感じるのも、
きっと私たちの出会いがそういう巡り合わせだったからなんじゃないかしら。
そんな思いに囚われながら、今日も私はキジオを抱き上げ、
ぎゅ~っとします。
だっこが嫌いなキジオはというと、一瞬抵抗するものの、
観念して、しばし私の気が済むまではおとなしく膝の上でじっとしていてくれるのです。
のどをゴロゴロ言わせながら。

つまるところは、私とキジオのおのろけ話~
やっぱりというか…(笑)

 

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帯状疱疹

帯状疱疹といえば、免疫力の弱ったお年寄りやくたびれた大人がなるものと思っていたのだが、なぜか今回、
こともあろうに次男がなってしまい、てんやわんやの我が家である。

数日前の夜、お風呂から上がった次男が血相を変えて戻ってくる。
「おかあさん、たいへん!蕁麻疹~!!」
見ると、脇腹や背中に赤い発疹がブツブツ。
あぁ、かゆそうshock
だけど、発疹の出方が蕁麻疹と少し違う。
どっちかというと、虫刺されっぽい感じ。
ぷくっと膨れた中心が見て分かる。
これ、なんだろう?
ダニ? 毛虫?
お腹と背中の数か所だけで、腕や脚やそのほかのところには出ていないので、とりあえずかゆみ止めを塗って様子を見ていたのだが、二日たっても改善しない。
もっと強い薬を塗らないと、あるいは内服しないとダメなのかも?
というわけで、学校帰りに皮膚科を受診することにした。

次男のお腹と背中を見た医師は
「これ、かゆいというより痛いでしょう?」と次男に尋ねた。
「かゆいです! あ、でもちょっとチクチクするかも」と次男。
すると、今度は私の方に顔を向けて医師は言う。
「帯状疱疹です。ほら、体の片側にだけ出てるでしょ」
あぁなるほど と思わず頷き、頭の中で情報と情報がつながるまで約5秒。
えぇ!? 帯状疱疹て… 小学生もなるんですか!coldsweats02

次男をこの皮膚科医院に連れてきたのはその日が二度目で、
一度目は昨年の5月だったと思う。
そのときは赤い発疹が身体中に広がっていて、
たぶん毛虫の毒にでもやられたんだろうと思っていたのだが、
その私の予想を見事に裏切って医師の診断はリンゴ病。
このときも、えぇぇ~!?という私のすっとんきょうな叫びが診察室に響き渡ったのだった。
思えばこの医院に行くたびに、私はひどく驚かされる。

ともあれ、この帯状疱疹であるが、
これは皮膚の直接の接触以外ではうつらないということで、
普段の生活はいつも通り、学校も休まなくていいそうだ。
ただ、体をしっかり休めるように。
そして、皮膚の接触のありそうなスイミングだけは禁止を言い渡された。
帯状疱疹の原因となるのは、水疱瘡の原因と同じヘルペスウィルス。
水疱瘡にかかったときのウィルスが治ったあとも神経節に潜んでいて、体の抵抗力が落ちたときに動き出す。
それが帯状疱疹だ。
だから帯状疱疹はだれかからうつされてなるものではなく、もともと体内にいたウィルスによって発症するのだが、いったん発症すれば水疱瘡にかかったことのない子にはうつしてしまう可能性があり、その場合には水疱瘡として罹患する。
同じウィルスから発症しても水疱瘡の方が感染力が強く、学校も出席停止の扱いになる。
もしまかり間違って感染が拡大したりしたら、周囲に大きな迷惑をかけてしまうことになるだろう。
そんなことにならないように、早く治さなくちゃ~!
その日は、内服の抗ヘルペスウィルス薬7日分と、アズノールの軟膏をいただいて帰宅。
しきりにかゆみと、たまに痛みを訴える次男にアズノールの青い軟膏をぬりぬりして、
塗った上からガーゼを貼って保護。
アズノールがかゆみ止めでないことは、次男には絶対にナイショである。
治療が功を奏して症状はずいぶんよくなってきたが、
当分の間、9時就寝は守らせよう。
このところ、インフルエンザにかかったり、友達とのことだっていろいろあったものねぇthink
子どもだってストレスをためるのだ。
十分な睡眠は必要だ。

子どもが帯状疱疹になるなんて初めて知ったが、まぁしかし、
ネットの情報によると、人がこの帯状疱疹にかかることは一生に一度あるかないかの頻度だという。
11歳の若さで一生に一度を経験しちゃうこともあるのだと思えば、逆にこの先二度とならない可能性も絶対じゃなさそうな気もするが、
それでも、大人になってからよりも、子どものときの方が症状も軽く済み予後も良好だと知れば、同じ一度なるのならそのほうが安全と喜ぶべきか。
あれこれ考えてみても、物事がどう転ぶかはあとになってみないと分からない。

*追記*
   最後に一つ、お役立ちの情報を。
   帯状疱疹の痛みは温めると軽減し、治りもいいのだそう。
   決して冷やしてはなりませぬ!

 

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