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2016年1月

続・酸辣湯麺

昨年春に酸辣湯麺について書いたのだが、
それから9か月たった今もなお、その記事にぽつぽつとアクセスをいただいている。
だいたいが検索エンジンを経由した訪問で、
もともとアクセス数の多くないこの地味なブログにまでお越しいただくのは、酸辣湯麺の情報が世の中でそれほど探されているっていうことなのかしら?
なんて思いつつも、私のブログ記事の内容では期待するほどの情報も得られず、読んだ人もきっとがっかりだわねーと申し訳ないような気持ちにすらなる。
それでも懲りずに、今回はまた昨年記事の続稿である。

確かに一年前に比べ、酸辣湯麺はポピュラーになってきていると思う。
スーパーで買い物していても、インスタント食品や冷凍食品の売り場で目にするようになった。
これは売れると見込んだからこそ、メーカーも商品化しているに違いないのだし、町のラーメン屋さんでも新たにメニューに加えるのだろう。
そして依然、酸辣湯麺熱の冷めやらぬ私は、「酸辣湯麺」の4文字を見かけると、つい触手を伸ばしてしまうのである。
いろんなところでいろんな酸辣湯麺をちょいちょい食べてきたが、
やはり私にとってのスタンダードはジョナサンの酸辣湯麺だ。
あのスープのお味が、なんともほどよいんだよねぇconfident

昨年夏にジョナサンに行ったら酸辣湯麺がメニューから消えていて、とても哀しい思いを味わった。
しかし、秋にはまた復活して、私の大好きな味を提供してくれている。
夏の間は、盛岡冷麺のフェアをやっていたから、
暑苦しい酸辣湯麺は一時お休みだったのかもしれない。
昨夏は猛暑だったものねぇ…

という感じで、私の中では酸辣湯麺はジョナサンで というのが
いよいよ定着していたのだが、
つい最近、もう1つ新しい酸辣湯麺に出会った。
それはラーメンチェーンの幸楽苑のサンラータンメン。
今まで一部の店舗のみの取り扱いだったのが、昨年12月半ばから全店で提供されることになったらしく、うちの近所の店舗でも食べられるようになったのだ。
これまで幸楽苑へは、さほど時間がないというときに立ち寄ることが多かった。
そんなときに私がいつも注文していたのはつけめんで、
これはすっぱ辛いお味の温かいスープに冷たい麺の組み合わせ。
早く食べられる上に、お値段もかなり手頃。ていうか、どんだけ私すっぱ辛いのが好きなんだろ?^^;
その日もそれを注文するつもりで訪れたが、期間限定で提供中の酸辣湯麺があるというので早速試してみることにした。
またもチェーン店かと思わないでもないが、大衆向けに研究されたお味ってはずれが少ないのか、私の味覚が単純なのか、それがとてもおいしかったのだ。
醤油ベースのスープに赤いラー油が浮いていて、具だくさんの中央にこんもりと盛られた白髪ねぎ、その横に添えられた青菜。
見た目も鮮やかな色彩で食欲をそそられる。
これまで食べてきた酸辣湯麺とちょっと違ったのは、
ひき肉や椎茸、もやしにきくらげ、筍、卵などの具材があんかけ仕立てになっていて、それがなんとも深い味わいになっている。
辛さも酸っぱさもほのかな感じで、ごま油の濃厚な香りが強く感じられ、最初の一口で思わず、「あっ!」と言ってしまった。
なんだろう、初めて食べるのにどこか懐かしいようなこの味。

リピートしたい二つ目の酸辣湯麺の出現に、
どっちを私のナンバー1にするのか、それを決めるためには
両方のお店にあと数回、通う必要がありそうだ。
とか言って、あとどれだけ酸辣湯麺を食べるつもりでいるんだろう、わたし(^^;)

 

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テレビの思い出

私という人間は根っからものぐさにできているのか、
テレビのチャンネルを自分で合わせるということをあまりしない。
かと言って、テレビを見ないというわけでもなく、
たいていは家族の誰かが見始めた番組を一緒になって見ているのであって、それでほぼ満足している。
夫や子どもが自分の見たい番組をそれぞれ事前にチェックして、
場合によっちゃ録画予約などしているのを見ると、
みんなマメなのねぇ と感心するほどである。
どっちかっていうと、それが普通なんだろうか。
ま、なんにせよ、周囲のマメな人間のおかげで、
このものぐさ花子もそれなりに、テレビの一般視聴者として、充実した日々を送らせてもらっている。

思えば私のこの習性は、物心ついた頃から同じだった。
子どものころ、私の記憶では、四つ年上の兄がチャンネルの管理をしていた。
兄が幼稚園や小学校に行っている間はどうしていたんだろう?
当時大好きだったロンパールームを一人で見て、
一緒にでんぐり返しをしたり、コップに牛乳を入れてもらって飲んだり、「鏡よ鏡よ鏡さん」とみどり先生が魔法の手鏡を覗き込むコーナーではいつ自分の名前が呼ばれるかとドキドキしていたことなどはうっすら覚えているけれど、
兄がいるときはいつも、私はテレビの前に座ってさえいれば
いつでも大好きな子ども番組を逃すことなく見られたのである。

まだテレビが一家に一台という時代、兄が見せてくれる番組は、『ひみつのアッコちゃん』や『サリーちゃん』などの女の子向けのものも網羅されていて、そこには幼い妹への兄としての配慮があったのかどうなのか、単に自分も見ていただけなのかもしれないが、
私の方は、兄と一緒に見る番組はどれも本当に面白かった。
『ゲゲゲの鬼太郎』に『巨人の星』とか、『チキチキマシン猛レース』や『ぴゅんぴゅん丸』、『いなかっぺ大将』、『ハクション大魔王』、『アンデルセン物語』、『ムーミン』、『オバケのQ太郎』、『天才バカボン』、『ふしぎなメルモ』、『デビルマン』、『ど根性ガエル』、『マジンガーZ』…
数え上げればきりがない。
大好きだったケンちゃんシリーズも、就学を控えた時期に見た『カリキュラマシーン』も、今となっては本当に思い出深い。
しかし、私の幼少期の思い出の中で最も中心に来るものは、
なんといっても、ウルトラマンと仮面ライダーだったのだ。

私が4歳になり、幼稚園に通うようになったある日、
園に持って行くためのお弁当箱を買いに行った。
当時、子どものお弁当箱といえば、シンプルな小判型のアルミ製。
そのフタの表面には子どもの好みそうな絵がついているのは今と同じだ。
家族で買い物に行ったそのとき、私が見つけてしまったのは、
仮面ライダーのお弁当箱!
おそらくその売り場には、女の子向けキャラクターのついたものもあったに違いないのだが、
大好きなヒーローに心を鷲掴みにされた4歳のオトメの目には
もうほかのものなど映らない。
絶対、これにする!と言って譲らない私に、父も母も半ばあきれ、
じゃあ、それにしましょう と、私の願いを叶えてくれたのだった。

そして、いよいよ、私が仮面ライダーの付いたお弁当を携え、
登園する日がやってきた。
昼になり、おともだちもみんなそれぞれに家から持ってきたお弁当を広げる。
私だって、どうよ!
なんたって、仮面ライダーなんだからねヽ(^o^)丿
だれにともなく、自慢げにお弁当箱を見せつける。
すると、周囲から思ってもみない反応が返ってきた。
「えー、こいつ、おんなのくせに仮面ライダーだ!」と言う男子。
この一言で、幼い私は天から地へと落とされた。

もうこんなお弁当箱、持って行かない!
そう言って、家に帰るなり泣く私。
子どもだったとはいえ、我ながら勝手なものである。
そのとき両親は、
どうしてもこれにするって自分が言ったんでしょ!
と、わがまま娘を責めたりはしなかった。
そして、こういうときにこそ、力を発揮するのが父だった。
よし、パパに任せろ!とその弁当箱を預かり、
見事生まれ変わらせてくれたのだ。

その工程についての記憶はあやふやなのだが、
まず父は、紙やすりかなんかを使い、仮面ライダーの絵を消した。
絵が消えてまっさらになったフタに、
雑誌からこれも当時私が好きだったアニメのみなしごハッチの絵を切り抜いて貼り、さらにそのイラストの全面を覆うように透明な接着剤でコーティングを施した。
そのまま完全に乾かせば耐水性もあり、洗ってもイラストが剥がれてくることはなかった。
仮面ライダーの絵は短命に終わったが、
このハッチのお弁当箱を私はその後長いこと大切に使うことになったのだった。

花のみなしごハッチは世界中でただ一つだよ!
そう言われてご満悦だった無邪気な自分を思い出す。
あのハッチのお弁当箱、使わなくなってからどうしたんだっけ?と、遠い昔に思いを馳せているとき、ふと気付いた。
あれって、まさか今で言うデコパージュなんじゃ?
私がよくお邪魔するブログで、
お教室で生徒さんを教えていらっしゃるデコパージュの先生がいつも素敵な作品を紹介されている。タッタさん、あなたのことですよ~💛
その作品ときたら、どれもキラキラして私の目には眩しいようなお洒落なものばかりで、いつも私は目の保養をさせてもらっているのだ。
それと同じ手法を、40年以上も前に父がやっていたなんて!
いや~、ほんとにびっくりぽんだ。
まぁ、あのみなしごハッチはうんと地味ではあったけれども、すごいぞ、わが父!(笑)

そんなこんなで、テレビ番組をめぐる私の回想は、意外な方向に行き着いた。
父はデコパージュを知っているんだろうか。
今度、じかに訊いて確かめてみたい。

*追記*
 タッタさんのブログ「デコエッグ」へのリンクはこちらをクリック!

 

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年賀状の思い出

今でこそ珍しくなくなった写真入りの年賀状。
今年も親戚や友人たちから、家族の笑顔満載の、幸せ色のハガキが届いた。
今はちょっとPCを使えば、簡単にオリジナルの年賀状が作れるし、写真を取り込むのだって、カラー印刷だって、楽々だ。
特別なスキルなど持ち合わせていない私にだってやれるのだから、ほんと便利になったものだ。
でも、昔はそうはいかなかったわねぇ と子ども時代が懐かしく思い出される。

私の幼少期であるから、昭和40年代から50年代ごろの話である。
当時、よそからいただく年賀状には写真入りなど皆無であった。
そんな時代に、なぜか我が家の年賀状は、家族写真だったのだ。
その写真は、父が撮影し現像し焼き付けた、いわゆる白黒の銀塩写真で、文字通り一枚一枚手作りの年賀状だったと言える。
思えば、年賀状作りは我が家にとって年末恒例の一大行事となっていた。

その晩は、早めに夕食を済ませると、みんなよそ行きの服に着替えて身支度。
壁には兄や私の書き初めが張られ、それを背景に写真撮影である。
三脚に取り付けたカメラと私たちが並ぶ位置を父が忙しく何度も行ったり来たりして撮影が終わると、すぐにフィルムの現像が始まる。
「いいか~?電気消すぞ!」という父の声に、急いで元の服に着替える私たち。
手狭なマンション住まいゆえ、家中の電気をすべて消して、視界は真っ暗に。
ダイニングのテーブルの上には写真の引き伸ばし機が設置されていて、現像後は直ちに焼き付けが行われる。
暗闇の中、つんとすっぱい現像液の匂いが漂う。
家がにわか暗室に早変わりするのだから、これが小さな子どもにとって、わくわくせずにいられるだろうか!
引き伸ばし機を通すと、フィルムに撮影した画像がハガキサイズに引き伸ばされて台の上に映る。
そこにセットされた印画紙の露光がすんだものをバットの中の現像液に浸すと、白い紙の上にゆっくりと画像が浮き出てくるのが、魔法のように思えてくる。
どんなにすばらしい写真ができているかと期待して見てみれば、
10枚以上撮ったのに、誰かが目をつぶっていたり、変な顔をしていたり、たった4人の家族がなかなか一つにまとまらない。
なんでいいのがひとつもないの?と毎年ここで思うけれど、
その中から一枚を選ばなければ仕方がない。
毎年何かを妥協して、ようやく使う写真を決めると、
あとは必要枚数の焼き付けだ。
部屋中に新聞紙を広げ、焼いた写真を重ならないように並べて乾かしていく。
子どもだった私が、暗闇につられてうとうとし始めるころまで、作業は続くのだった。

こうして作られた写真年賀状は、親戚やごく親しい人たちに届けられるのだが、少し大きくなってくると、以前は感じたわくわく感よりも、よその家とは異質な写真の年賀状を疎ましく思う気持ちが強くなった。
第一、こっぱずかしいじゃないか。
めったに会ったことのない親戚の人に会ったときも、
こちらが名乗るより先に
「花ちゃんね!いつも年賀状で見ているから知ってるわ」
などと言われることも多かった。
当時は珍しい写真の年賀状だったので、もらった人も強く記憶に残っていたのだろう。
ま、これはこれでむしろ好都合な場合もあるのだが、
それでも、こちらが知らない人に、自分の情報だけ伝わっているというのも、なんだかフェアじゃないような気がしていた私である。
そんなことも影響して(かどうかは定かでないが)、
私が中学生になったころまで続いたこの年賀状も、ついに作成されることはなくなったのだった。
写真の年賀状をやめた父の思いについて、私もこの年になって初めて、あれこれと想像を巡らしている。

その後、写真の年賀状を出す人が世間で増えて来ると、
うちって時代の先を行ってたってことじゃない?
なんて会話が実家では交わされる。
みんながやり始めるころにはやめちゃうなんて、
ほんと、時代に逆行している。
でもそれが、父らしいと言えば実に父らしいとも思えてくるのである。

 

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