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無自覚

自覚のないのはいちばんいけない。
自分の行いをきちんと認識するところから、
反省は生まれる。
感謝の気持ちも生まれる。
己を正すことで成長し、
生活や活動が向上し、
また他者との信頼関係も育っていくというもの。
自覚がないというのは悪気はないということなのかもしれないが、罪がないということにはならない。
ずっとそんなふうに思ってきた。

義母は以前から、自覚に欠ける人であった。
この人にこんなことを言ったら、相手はどう思うだろうか。
この状況でこんなことをしたら、事態はどういう方向に向かうだろうか。
そういったことにまるで無頓着に、言いたいことを言い、やりたいようにやる。
そして、どんな結果を招いたとしても、その原因に自分が関与していることなど全く気付かないのである。

義母のそうした自覚のなさは、見事なまでに終始一貫している。
それは何か特別な意味のある場面だけでなく、日常の些末な行動の一つ一つにまで表れ、義母を取り巻く人間関係を複雑なものにし、周囲の人間の予定や段取りを狂わせる。
例えば、電話の横に置かれたメモ用のボールペン。
どんなにたくさん用意しておいても、私が使おうと思ったときには一本もない。
確かにここにあったはず…という郵便物が消える。
食卓でいつも使っているスプーンの数がなぜか足りない。
それらはすべて義母の手を経由して別の場所へと運ばれたのだ。
いくら義母本人が知らないと主張しても、義母の着ているエプロンのポケットや、自室のあちらこちらからそれらがごっそりと出てくるという事実がすべてを物語っている。
いつだったか、子どもが図書館で借りてきた本が見当たらなくなったと言って義母の部屋に入っていくのを見かけた。
いくらなんでも、そんなのまでおばあちゃんのわけないじゃない!と止めに行った私は、義母の部屋から出てきた息子が、探していた本を手に、勝ち誇っているのを見て、目を疑った。
「なんでここにあるのかしらね~?coldsweats01」という義母の言葉をそのまま信じるならば、本当に自覚なくものを触り、自覚なく持ち去っていることになる。
わが義母さまの無自覚は、ただの無神経で考えなしの人という枠を飛び越え、自分の言動の意味を全く解していないという謎の境地に達しているのである。

そんな義母の日常は、ハプニングにまみれている。
花瓶に水をくんで運べば、必ずといっていい頻度でこぼす。
しかし、自分がこぼしたという自覚がないので、「あら?なんで水がこぼれているのかしら!?花瓶に穴が開いてるのかしら!」なんてことを堂々と言ってのけ、周囲を唖然とさせたり。
またある日の深夜には、「なにか、人の声がするの…」とおびえた表情で私たちを起こすので、不審者でも侵入したのかと慌てて見に行くと、なんのことはない、ラジオが鳴っているだけだったり。
たぶん、自覚なくスイッチを触ってしまったのだろう。
今日も、自覚なく操作して携帯電話の防犯ブザーを鳴らしてしまい、解除ができずにオロオロする義母の姿があった。
「へんねぇ。なにもしてないのに…」という義母のその言葉を、今となっては家族はだれも信じない。
義母の部屋のエアコンも、時々リモコンの設定を確認しないとめちゃくちゃなことになっているし、子どもたちがおばあちゃんに持ち物や体を触れられるのを嫌がるのだって、おばあちゃんが水を触ったまま手を拭かないからだということに、本人は全く気づいていない。
いつもどんなときにも、自分は何もしていない!何も悪くない!と言い切る義母。
もし本当にそう思っているのだとしたら、義母にとって日常生活は、限りなく不可解な、そして困難に満ちたものとしてその目に映っているのかもしれない。

先日、義母の介護認定調査があった。
市から派遣されてきた調査員の方に義母のことをいろいろお話する中で、さまざまな面での衰えを再確認する機会となった。
私にとっては最初からちょっと困った存在であった義母ではあるが、ゆっくりと、しかし確実に老いは進行している。
義母は他人の前では饒舌になり、あることないこと話し出すようなところがあるので、担当のケアマネさんの配慮で、調査のときには本人が同席しての聞き取りとは別に、本人は席を外して家族のみでの聞き取りの場を設けていただいている。
そうでないと、実際の様子をお話しすることが難しいからだ。
もし調査が義母の口車に乗せられたまま進んでしまったら、正確な判定は下されず、せっかく週3回のペースで通えているデイケアサービスも継続できないことになる可能性もある。
だからといって本人を前に失敗談を並べるのはこちらとしてもできないところであるし、それこそ無自覚にやってしまっていることを指摘されては、あの義母が素直にそれを認めるとも思えない。
その後の修羅場を想像するだに恐ろしい。
義母にとって、自覚のないことはすなわち、「なかったこと」なのである。

今後、彼女の身により色濃く表れてくるであろう認知症というものは、まさに己の言動に無自覚になっていく病なのだと思う。
うまくいかないことがあったり、少々おかしなことをやったりしていても、自覚があるうちはまだいいのだ。
本当の問題は、本人が無自覚にやっていること、気付くことができない部分にこそある。

「このごろね、自分が何をしているか、ふっと分からなくなるときがあるの」
調査の折りに、義母が自分で言っていたことだ。
その言葉の半分は、私って無力な年寄りなの…大切にされたいの…というアピールに違いないが、でも半分は年老いていく自分自身への不安という正直な気持ちの吐露でもあると思っている。
家族の側も、義母の無自覚な行動に対する認識を改めていく時期に来ているようだ。

 

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義母」カテゴリの記事

コメント

さぼてんの花さん、こんばんは。
私が言うのも変ですが・・。
「アルツハイマー型認知症」ですよね?
認定調査の際に主治医の診断書を書いて頂きましたか?
病院でMRIをとりましたか?
もしも 病院の検査を嫌がるなら
私は母に「75歳以上の老人が受ける無料の健康診断」と
言いました。
(※母はお金にシビアなので、笑)
何か良い口説き文句を見つけて
連れて行ったほうが良いと思います。
我が家は私の方針でヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ
1年に1回のペースでMRIをとり
母の認知の様子を見ています。
もともとの性格も病気を隠したりするので
早い受診をお勧めします。
差し出がましいコメントをお許しください。

投稿: | 2015年3月21日 (土) 01時03分

舞さんも、そう思われますか?
私から見ても、かなりきわどくなってきているように感じます。
最近急にそうなってきた ということなら間違いなく診断もつくと思いますが、
義母の場合はかなり以前からこの調子でして…。
たぶん、ベースに発達障害があるのではないかと睨んでいます。
それでも、思い返すと、物忘れの度合いや理解力・判断力の低下などは確実に進んでいて、認知症の面でも心配が強くなってきました。
MRIは一昨年、初めて介護認定を受けるときに検査しましたが、その時点では特に異常は見られませんでした。
過去の記事「年相応とは」で書いた通りです。
それから2年たちましたし、ケアマネさんや包括センターのスタッフも状況はよく分かって下さっているので、相談しながら受診も検討していこうと思います。
差し出がましいなんて、とんでもない!
コメントありがとうございました。

投稿: さぼてんの花 | 2015年3月21日 (土) 09時44分

介護認定の調査はそこが難しいですよね。
他人の前では饒舌になったり、それくらい大丈夫、できると話したり。
それで介護度を落とされたりしたら困りますもんね。
でもいいケアマネさんがついてらっしゃるようでよかったです。
無自覚の行動も元々の性格か、お年によるものなのか、
認知症へと進んでいっているのか判断が難しいですね。
私でも若いのに(若くないけどcoldsweats01)時々「あれ?なにしてるんだあたしは…」ってことがあって、大丈夫か?と心配になるくらいだから、
きっとお義母さまくらいのお年だと、もっともっと不安で怖さもあるんでしょうね。

投稿: ところん | 2015年3月22日 (日) 18時29分

ところんさん、こんばんは(^^)
そうなんですよね。
本人同席の聞き取り調査って、気を使います(^^;)
ふだんの様子を見ていても、
そろそろちゃんとした認知症の検査を受けたほうがいいのかなぁ…とは思うんですけど、
切り出し方が難しくて…
やっぱり本人の意向は無視できないじゃないですか!
義母自身もたまに不安を感じているようですが、
よく電話しながら「まだまだボケてなんかないわよ!」
と豪語するのも聞こえていたりしますcoldsweats01

投稿: さぼてんの花 | 2015年3月22日 (日) 22時47分

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