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2015年3月

やっぱりハッピーエンドが好き

今朝9時からのテレビ東京「ふるさと再生 日本の昔ばなし」で、
桃太郎、金太郎、浦島太郎の三本をやっていた。
なに? auの差し金?(笑)
などと思いつつも、見るともなく見ていたが、
浦島太郎を見終わって、なんだかひどく悲しい気持ちになった。

「ありきたりの毎日がつまらないと思っていたけど、それが大事だって分かったんだ。おら、村の暮らしに戻りてぇ」というようなことを乙姫様に申し出て、元の世界に戻った浦島太郎。
竜宮城での何不自由ないバラ色の生活よりも、生まれ育った地でのつましい暮らしを選んだのだ。
なんてもったいない!!
と思わなくもないが、でも、実際、そんなものかもしれないと思う。
苦労があるからこそ、喜びも大きい。
そして、苦楽を分かち合う人がいてこその、自分の人生。
幸せはお金では買えないって言うし、ね。
そういえば、「苦労は買ってでもしろ」と言ったりもするけれど、
まさか、本当の金持ちは苦労をお金で買ったりするのか?
なんて無駄なお金の使い方!
…て、違うよね。
ものの例えだってば。
などと、しょーもないことを頭でこねくり回しながらも、
とにかく、本当の幸せに気づいた浦島太郎さん、
あんたはエライ!!
つらいことの多い日常には、きっとそれだけ幸福もたくさん存在するのだ。
要は、その幸せに気づくことができるかどうか、かみしめて味わうことができるかどうか、ということなのだ。

それが分かった時点で、浦島太郎は、幸福への切符を手に入れたはずだった。
しかし、新しく出直そうと生まれ故郷に帰ってきた太郎を待ち受けていたのは、とてつもない悲劇なのだ。
よく知っているはずの村はすっかり様変わりして、自分を知る人は一人もいない。
竜宮城に滞在している間に、地上界では300年の時が経っていたのだった。
途方に暮れる浦島太郎。
玉手箱。
立ち上る煙。
白髪の老人となった太郎の姿。
こんな仕打ちってないよね…
カメを助けた優しい人に…

結局このお話って、人生はままならない という教訓なのか。
救われない気持ちでネットを見ていたら、相対性理論に行き当たった。
かのアインシュタインによると、
運動している物体の経過時間は、静止している物体の経過時間に比べて相対的に遅くなる。この現象は日常的には判らないが、光速に近づくと顕著になる(理論的には、光速に達すると時間は止まってしまうことになる)。そのため、光速に近い速度の宇宙船に乗って宇宙旅行をして帰還すると、地上では宇宙船での何倍もの時間が経過しており、宇宙船の乗組員は、さながら浦島太郎の様相を呈することとなる。そのため、日本では、この効果のことを俗にウラシマ効果と呼んでいる。(*Wikipediaより)
「宇宙船」のくだりから、ここは地球だった… という『猿の惑星』のラストシーンを連想し、ますます気持ちが沈んでいくsweat02
さらに、カメが浦島太郎を乗せて光速で竜宮城へ泳ぐ姿をイメージしては、カメを忌まわしく思ったり。
日曜日の朝からなにやってんだろ…coldsweats01

そんな私の心を和ませてくれたauのCMから、お気に入りの一作をご覧あれ。
キジがいい演技してる!(笑)

 

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無自覚

自覚のないのはいちばんいけない。
自分の行いをきちんと認識するところから、
反省は生まれる。
感謝の気持ちも生まれる。
己を正すことで成長し、
生活や活動が向上し、
また他者との信頼関係も育っていくというもの。
自覚がないというのは悪気はないということなのかもしれないが、罪がないということにはならない。
ずっとそんなふうに思ってきた。

義母は以前から、自覚に欠ける人であった。
この人にこんなことを言ったら、相手はどう思うだろうか。
この状況でこんなことをしたら、事態はどういう方向に向かうだろうか。
そういったことにまるで無頓着に、言いたいことを言い、やりたいようにやる。
そして、どんな結果を招いたとしても、その原因に自分が関与していることなど全く気付かないのである。

義母のそうした自覚のなさは、見事なまでに終始一貫している。
それは何か特別な意味のある場面だけでなく、日常の些末な行動の一つ一つにまで表れ、義母を取り巻く人間関係を複雑なものにし、周囲の人間の予定や段取りを狂わせる。
例えば、電話の横に置かれたメモ用のボールペン。
どんなにたくさん用意しておいても、私が使おうと思ったときには一本もない。
確かにここにあったはず…という郵便物が消える。
食卓でいつも使っているスプーンの数がなぜか足りない。
それらはすべて義母の手を経由して別の場所へと運ばれたのだ。
いくら義母本人が知らないと主張しても、義母の着ているエプロンのポケットや、自室のあちらこちらからそれらがごっそりと出てくるという事実がすべてを物語っている。
いつだったか、子どもが図書館で借りてきた本が見当たらなくなったと言って義母の部屋に入っていくのを見かけた。
いくらなんでも、そんなのまでおばあちゃんのわけないじゃない!と止めに行った私は、義母の部屋から出てきた息子が、探していた本を手に、勝ち誇っているのを見て、目を疑った。
「なんでここにあるのかしらね~?coldsweats01」という義母の言葉をそのまま信じるならば、本当に自覚なくものを触り、自覚なく持ち去っていることになる。
わが義母さまの無自覚は、ただの無神経で考えなしの人という枠を飛び越え、自分の言動の意味を全く解していないという謎の境地に達しているのである。

そんな義母の日常は、ハプニングにまみれている。
花瓶に水をくんで運べば、必ずといっていい頻度でこぼす。
しかし、自分がこぼしたという自覚がないので、「あら?なんで水がこぼれているのかしら!?花瓶に穴が開いてるのかしら!」なんてことを堂々と言ってのけ、周囲を唖然とさせたり。
またある日の深夜には、「なにか、人の声がするの…」とおびえた表情で私たちを起こすので、不審者でも侵入したのかと慌てて見に行くと、なんのことはない、ラジオが鳴っているだけだったり。
たぶん、自覚なくスイッチを触ってしまったのだろう。
今日も、自覚なく操作して携帯電話の防犯ブザーを鳴らしてしまい、解除ができずにオロオロする義母の姿があった。
「へんねぇ。なにもしてないのに…」という義母のその言葉を、今となっては家族はだれも信じない。
義母の部屋のエアコンも、時々リモコンの設定を確認しないとめちゃくちゃなことになっているし、子どもたちがおばあちゃんに持ち物や体を触れられるのを嫌がるのだって、おばあちゃんが水を触ったまま手を拭かないからだということに、本人は全く気づいていない。
いつもどんなときにも、自分は何もしていない!何も悪くない!と言い切る義母。
もし本当にそう思っているのだとしたら、義母にとって日常生活は、限りなく不可解な、そして困難に満ちたものとしてその目に映っているのかもしれない。

先日、義母の介護認定調査があった。
市から派遣されてきた調査員の方に義母のことをいろいろお話する中で、さまざまな面での衰えを再確認する機会となった。
私にとっては最初からちょっと困った存在であった義母ではあるが、ゆっくりと、しかし確実に老いは進行している。
義母は他人の前では饒舌になり、あることないこと話し出すようなところがあるので、担当のケアマネさんの配慮で、調査のときには本人が同席しての聞き取りとは別に、本人は席を外して家族のみでの聞き取りの場を設けていただいている。
そうでないと、実際の様子をお話しすることが難しいからだ。
もし調査が義母の口車に乗せられたまま進んでしまったら、正確な判定は下されず、せっかく週3回のペースで通えているデイケアサービスも継続できないことになる可能性もある。
だからといって本人を前に失敗談を並べるのはこちらとしてもできないところであるし、それこそ無自覚にやってしまっていることを指摘されては、あの義母が素直にそれを認めるとも思えない。
その後の修羅場を想像するだに恐ろしい。
義母にとって、自覚のないことはすなわち、「なかったこと」なのである。

今後、彼女の身により色濃く表れてくるであろう認知症というものは、まさに己の言動に無自覚になっていく病なのだと思う。
うまくいかないことがあったり、少々おかしなことをやったりしていても、自覚があるうちはまだいいのだ。
本当の問題は、本人が無自覚にやっていること、気付くことができない部分にこそある。

「このごろね、自分が何をしているか、ふっと分からなくなるときがあるの」
調査の折りに、義母が自分で言っていたことだ。
その言葉の半分は、私って無力な年寄りなの…大切にされたいの…というアピールに違いないが、でも半分は年老いていく自分自身への不安という正直な気持ちの吐露でもあると思っている。
家族の側も、義母の無自覚な行動に対する認識を改めていく時期に来ているようだ。

 

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Spring has come

今年も、白い木蓮の花が咲き始めました。
ハクモクレン。
清楚で独特な存在感のあるこの花が、私は好きです。
そして、この花が咲くといつも思い出すのが、これ。
スターダストレビュー、『木蘭の涙』です。

  木蘭のつぼみが
  開くのを見るたびに
  あふれだす涙は
  夢のあとさきに

逢いたくて 逢いたくて… なんと切ないのでしょう(ρ_;)
厳密には、「木蓮(木蘭)」というと紫色の花を咲かせる「シモクレン」を指すのだそうですが、私のイメージするのは真っ白なハクモクレンのほうです。
花言葉は「自然への愛」「高潔な心」「持続性」。
コンパス・フラワーの別名もあるように、つぼみの先がすべて北を向くそうです。
それは北枕に寝かせるという死者を連想させ、いつまでも忘れない亡くなった人への愛を思わせます。
個人的には、大切な人との永遠の別れというのは一度も経験がありませんが、なんとなく春先はちょっぴり感傷的になりますもので、この歌にうたわれている心情がオーバーラップしてくるのです。
だってほら、春は別れの季節とか申しますでしょう?
涙がつきものなんです。
まぁ、今、親しい人との別れが現実にあるわけではないんですけれど、春の風が記憶の扉をたたいて少し開きかけている…
そんなところへ、木蓮ですよ!
花が歌を呼び、この曲がずずずぃっと心に入り込んできてしまうのですワ~(*v.v)。
そんなわけで、毎年このシーズンは、この歌にどっぷり浸って過ごす私なのでした。
涙には浄化作用があるといいますから、思う存分に泣いて心をリセットするのは、今がいいタイミングかもしれません。
いずれ桜の時季がやって来たら、すっきりと新しい気持ちでスタートを切りたいですから。

さて、この曲が最初にリリースされたのは1993年ですが、2005年にセルフカバーされてアコースティック版が出ました。
これが、今「マッサン」で注目のニッカウヰスキーのCMに使われたのをみなさん覚えていらっしゃいますか?
石田ゆり子さんが「女房酔わせてどうするつもり?」というアレです。
また、この曲はこれまでいろんな方にカバーされているようですが、最近では、「ごちそうさん」の希子役・高畑充希さんがカバーしています。
意外なところでつながりが浮上してきて、朝ドラファンとしてはテンション急上昇の事態です。
泣いたり笑ったり、この春はほんと忙しいですわ~(*´v゚*)ゞ

 

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リコーダー

「うぅ またヘビ使いが始まった…」
と申しますのは、次男が奏でるリコーダーの音色。

10歳の節目としての発表会形式の参観日や卒業を控えた六年生を送る会など、このところ何かと合奏を披露する機会が多いせいか、いつになく音楽会モードに入っているようです。
帰宅後、いつもならすっ飛んで遊びに行くところなのに、意味深な表情でリコーダーと譜面を携えてリビングに登場した彼。
コホン と咳払いをひとつ。
「なに?宿題なの?」の問いかけには答えず、まっすぐ前を向き演奏に入ります。

  レ ソ ラ  シソーラシソラ レ~

ん?
何やら聞き覚えのあるような… ないような。

 ラシーラソラ レ~

黄色いところは文字通り黄色い音なのでありましてcoldsweats01

ちょうどそこに居合わせた長男の評は、
「ちょ… 音がひどくて原曲がわかんないよ」
さすが兄弟。
実に辛辣なコメントですcoldsweats01
でも、原曲もなにもアレンジ一切加えてませんから(笑)
譜面をのぞくと、タイトルは『アラ・ホーンパイプ』。
ヘンデルの管弦楽組曲『水上の音楽』ですよー!
名曲ですよー!

「へぇ~、こんなのやってるんだ… もういっぺんやってみて!」
無言でうなずいた次男、再びリコーダーを構えます。

 レーソーラー シソーラシソラ ぴぃーーー!!

最初のときよりさらに力の入った吹き方です。
「強く吹きすぎてるよ。もうちょっと優しく吹いてごらんcoldsweats01
リズム感は悪くないのですが、なんでも力いっぱいsign01の小学男子に楽器演奏のセンスを求めるのは、ハードル高すぎるのかしら…
それでも、満足そうに、さらに何曲か吹き続ける次男です。
高音だけでなく、ドとレの低音も息が強すぎるために音がひっくり返ってしまいます。
「低い音は、トォーって静かに吹くときれいな音が出るよ」などというアドバイスにも耳を傾けようとしない彼は、半分わざとやっているのでしょうね…sweat02
ま、本人が楽しいならそれが一番ですが、どうもその音色を聞いていると、笛の音に誘われて首をもたげてきたヘビが、ぴぃーの瞬間にペシャッとなるイメージがわいてきて、払拭できません。
飽きるまでしばらくは、この一人演奏会が続きそうです。
私の心の中のヘビさんが再起不能に陥らないように、本当の『アラ・ホーンパイプ』を聞かせておこうと思います。
よろしければ、みなさんもどうぞご一緒に♪
おさかなの映像にも癒されますよcatface

 

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抗争終決(後)

(このお話は、前回のつづきです)

家中に新聞があふれかえる生活が、3か月延長されることになりました。
そのことにうんざりするよりも、むしろY新聞の販売方法に対する不信が大きく膨れ上がり、問題の中心に位置していました。
怒りに突き動かされた私は、迷わず販売店に電話を入れました。
もちろん、文句を言うためにです。

あれほどお断りしたのに、これはいったいどういうことですか!と感情をぶちまける私に、

「こんなにいろいろ品物をお付けできるのも、今だけなんですよ~
今契約していただくと本当にお得なので、こちらとしてもお勧めしているわけでして」
薄ら笑いを浮かべて(←想像) 対応する販売店。

そんなのいらないので、全部持って帰ってください!などというやりとりがひとしきり行われ、だんだん頭が冷えてきた私は、契約した3か月だけは新聞をとるが、その後は我が家への一切の営業活動をさし控えてもらうという約束を取り付け、電話を切りました。
その間、義母はといえば、いつもの威勢のよさはどこへやら、契約を断り切れなかった後ろめたさと、景品に目がくらんだ気まずさで、いつになくオロオロしておりましたsmile
それにしても、なんという卑劣な手口でしょう。
いくら性格は悪く意地汚いところのある義母であっても(すみません、勢いに任せて本音がsweat01、情にもろい一面もあり、困っている人を見るとつい助けてあげたくなって大口をたたいてしまうような、憎めないところがあります。
年を取って、昔よりは頭だって少々ゆるくなってきている高齢者を相手に、泣き落としだの、景品をずらーっと並べて強引に契約を迫るだの、そんなことを許していいのでしょうか。
ものに釣られるほうも釣られるほうですが、契約を取るためならどんな手を使ってもいいと考える人間の方に、たちの悪さを覚えます。
あとになって知ったことですが、景品表示法により、新聞業における景品類の提供には制限があることが定められています。
それによれば、契約に際しての景品は購読料(最大6か月)の8%が上限とされているのです。新聞公正取引協議会サイト 参照
我が家に持ち込まれた景品の量は、明らかに違法ということになります。
新聞の勧誘に関わるトラブルはよく耳にするところですが、アンチを作るような営業方針は企業として得にはならないということを知ってもらいたいものです。
現に、このことがあってから、私は、Y新聞が大嫌いになりました。
新聞自体にはこれといってなんのこだわりもないですが、自分からY新聞を買うことは一生ないでしょう。

私がものすごいエネルギーを使って怒りまくった甲斐もあってか、そのときの契約期間の終了をもって、Y新聞はあっさりと手を引いてくれました。
今度こそもう大丈夫!とすっかり安心し、契約をめぐってゴタついたことも意識から遠ざかっていた、そんなある日。
あろうことか、再びY新聞の配達員を名乗る人が、突然、私の目の前に現れたのです。

「明日から配達って、そんなはずないですけれど。なにかお間違えではないですか?」
だって、うちにY新聞は出入り禁止ですもの!
不快な記憶をよみがえらせた私の強い口調に、配達員さんはたじろいだようです。
「いえ、間違いはない… と思うんですけど… えーと、これが契約書です」
見せてもらうと、署名欄には義父の名前。
筆跡はおそらく義母のものと思われます。
配達員を玄関先で待たせたまま、義母に確認したところ、初めはとぼけていた義母も契約書を見せられては逃げられず、「あらー、じゃサインしたのね、私… あははcoldsweats01
あはは じゃないわよ…
何回やったら気が済むのー!!annoyannoyannoy

とにかく、それまでのいきさつを全く知らないらしいその配達員さんに事情を説明し、契約をキャンセルにしてほしいと伝えました。
しかし、クーリングオフの期間も過ぎていて、それはできないと言われてしまいました。
その配達員さん自身の社内での立場もあるのでしょう、その方はとても困った様子でしたが、こちらもそのままおとなしく引き下がるなんてできません。
前回だってこちらが折れて契約を履行したのですから、今回は意地でも一矢報いなければ!
そんな思いで話し合った結果、キャンセルはできないけれども契約を先に延ばすということになりました。
A新聞との契約が切れる時期に、Y新聞の契約を入れる。
キャンセルできないのは不本意ではありますが、双方の言い分を汲み取った折衷案として、そのへんで手を打ったほうがいいと判断しました。

つきましてはその時期ですが、新聞の契約はそれまですべて義母まかせになっており、A新聞との契約内容がはっきりしませんでしたので、直接そちらの販売店に確認しましたところ…
なんと、その時点から7年半先まで、契約をさせられてしまっていたのでありました。
正直、その事実にも軽く衝撃です… shock

その後、Y新聞の配達員さんが再びやって来て、あらためて契約をし直したわけですが、
「7年半も先でいいんですか?」ときく私に、
「かまわないですよ」とにっこり。
そして、こっそり耳打ちして言うことには、
「こんなこと言うのはナンですが、もしも…ですよ、その間に契約者の方がお亡くなりになったりした場合には、キャンセルができますから」
月日は流れ、その「もしも」の話は現実となりました。
義父の名前で結ばれた契約は、このたびめでたく無効となり、私の7年越しの溜飲もやっと下がる思いです。
きっと義父も、いまごろ草葉の陰で、ほっと胸をなでおろしていることでしょうconfident
この先、義母がもっと悪質な詐欺に引っかかったりしないよう、どうぞお見守りください と仏壇に手を合わせる私です。

 

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抗争終決(前)

長いことくすぶり続けてきた問題が一つ、解決しました。
shineshineあー、スッキリsign01shineshine

今振り返っても、私のこれまでの人生で、腹が立ったことワースト3に入る出来事です。
それはちょうど7年ほど前のことでした。
インターホンのベルが鳴り私が玄関に出てみると、初めて見る人が立っていました。
「こんにちは!Y新聞です。明日から配達させていただくので、ご挨拶に伺いました。」
愛想よく笑うその方は決して悪い印象ではなかったのですが、私は訝しく思って言いました。
「え。そんなはずないですけど。なにかお間違えではないですか?」

そのとき私がそう言ったのは、過去に、あるいきさつがあったからです。
話は、さらに1年ほど前にさかのぼります。
我が家ではずっとA新聞を購読していたのですが、ある日気づくとA新聞とY新聞が重複して入っておりました。
不思議に思って義母に尋ねたところ、Y新聞の勧誘の人が来て契約が取れずに困っていると泣きつかれ、かわいそうになってつい契約してしまった ということでした。
「3か月だけよ」という義母の言葉に、お義母さん乗せられちゃいましたねsmileと内心は苦笑いしつつも、そのときはべつになんとも思っていなかった私。
新聞代も義母が自分のお金で払うと言うし、どうということはありませんでした

、半月もすると考えが変わってきました。
もともと取っていたA新聞の販売店からは朝刊と夕刊にスポーツ新聞、そこへさらにY新聞が加わって、それぞれに折り込み広告やらなんやらが… となってくると、ものすごい勢いで古新聞がたまります。
なにせ、全部、毎日来ますからね~sad
義母は片づけるということを一切しませんので、あちこちに読み散らかしてある新聞や広告を集めてまとめるのも、ゴミ出しするのも、私か夫の仕事です。
そんなことに煩わされるうちにイライラも募り、
いったいこのうちは、
どんだけ新聞とってるのー!!annoyannoyannoy

と、声を大にして叫びたくなる始末。
だいたい、経済新聞とか地方新聞ならともかく、同じような新聞を二つ取るのは一般家庭には無駄というもの。
そんなわけで、契約期間の3か月が過ぎるのを心待ちにしていたわけです。

ところが、ことはそう簡単には終わりませんでした。
契約期間が終わりに近づいたころ、その販売店は新たなセールスを仕掛けてきました。
ま、相手も商売ですからね、せっかくつかまえた新規の客をそう簡単に逃す手はないということでしょう。
「この後も、ぜひ継続でお願いできませんか?」と、まず、電話がかかってきます。
ちょうど義母は不在で、電話口に出た私は、きっぱりお断りしました。
義母に継続の意思がないこともすでに確認済みの上です。
それでも相手は食い下がってきます。
「今なら、発泡酒1ケース、お付けします!このキャンペーンも今月いっぱいなんですよ~」
いーえ!結構です!!間に合ってます!!!angry
「そこをなんとかなりませんかね~」
断っても断っても執拗に契約を迫ってくる相手にだんだん腹が立ってきた私は、Y新聞なんぞ絶対に取るものか!と鼻息を荒くするのでした。

でも実際、電話で私がいくらお断りしようとも、新聞の契約をしたのは義母であって私ではありません。
先方のターゲットは、あくまで義母でした。
電話がダメなら… と、敵は今度は出向いてやって来ました。
発泡酒の箱を引っ提げて。
義母さま、あやうし!
義母は気の強い性格ですが、どこか人前で調子のいいところがあり、こうしたセールスを断り切れないので心配です。
しかし、セールスマンが玄関に辿りつく少し手前で、その場にちょうど居合わせた夫がこれをブロック!
敵さん、すごすごと退散していきました。
夫くん、グッジョブ!good

これで、危機は乗り越えた。
私も夫もそう思っておりました。
それなのに~!
まだ続きがありました。
数日後、夫と私が外出から帰ると、出かける前にはなかった怪しげな品物の山…。
おびただしい数の洗剤やタオル、お米に発泡酒もあります。
留守にしている間に、笠地蔵でも来たのか…?gawk
義母に確認しますと、Y新聞をさらに3か月契約したのだそうで。
やっぱり というかなんというか…sweat02
まんまとしてやられたのでした。

次回につづく・・・

 

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10歳に壁はあるのか

久しぶりの更新です。
あれよあれよという間にひと月たってしまいました。
早かったです、二月。
そして、最後の最後についに来ちゃいましたね。
一馬に召集令状が!weep
あ、すみません、朝ドラの話です。
ストーリーの展開と時代背景を考えたら、そろそろ来るんだろうなぁとは思っていましたが…
かわいそうなエマちゃん…

思えば、当時、戦争によって人生の行く手を遮られたり、夢を阻まれたりした人は、実際どれほどたくさんいたのでしょう。
多くを望むことを許されず、何をするにも壁がある。
そんな時代を生きた人たちがいたからこそ、今があります。
こんなにも豊かで平和な世の中に生まれてきた私たちは、その幸運に感謝しなくてはなりませんね。

さて、「壁」といえば、『子どもの「10歳の壁」とは何か?』という本を最近読みました。
子育てをしていると、早期教育の重要性を謳い、「学力は10歳までに決まる」的な、ある種の脅し文句のようなフレーズがあちこちから聞こえてきます。
現在、下の息子はまさしく10歳ド真ん中!
もしや、壁にぶち当たっているのでは?coldsweats02
いつものんきな息子からは、苦悩の表情は読み取れませんが…coldsweats01
同年代の子どもを持つ親なら、不安に思う人も多いでしょうが、どうぞご安心ください!
本の著者、渡辺弥生さんによりますれば、10歳までの育て方ですべてが決まるようなことはないそうです。
ただ、発達心理学において「9歳」「10歳」という年齢はとても興味深い時期で、子どもにとっては大きな転換期であり、飛躍の歳であるそうなのです。

10歳以降というのは、それまでの具体的思考から抽象的思考へと入っていく時期です。
ピアジェの発達理論で言う、具体的操作期から形式的操作期への移行ですね。
その過程で脱中心化が起こります。
つまり、他者の視点の獲得です。
そうした流れの中で、他人のことを自分のことのように考え、他人の行動から気持ちや考えを予測することができるようになったり、また、自分自身を客観的に見られるようになったりします。
メタ認知能力が育ってくるのもこの時期なのですね。

また、感情の面でも成長し、肯定的感情と否定的感情が入り混じったような複雑な感情があることに気付き、それを表現できるようになります。
例えば、うれしいけれど恥ずかしい とか、怖いけれどやってみたい とかいうものです。
そんな細やかな心の動きに敏感になったところに、第二次性徴におけるホルモンの影響などもからんでくると、ちょっぴりややこしいお年頃と言われてしまうわけなのですねcoldsweats01

そして、忘れてはならないのは友達の存在です。
この時期の子どもは、親の言うことに従うべきだという考えが弱まり、友達との友情が強くなります。
そのため、友達の目がとても気になり、必要以上に考えすぎて自意識過剰に陥ったりもします。
ジレンマや葛藤を抱えやすく、不安定な時期ではありますが、その中で社会性と道徳性をバランスよく養っていくことが、やがて来る思春期の荒波を乗り越えていく上で重要になってくるそうなのです。

こんなふうに見てくると、まだまだ子ども!と侮ってはいられませんね。
子どもの成長には、たくさん遊ぶことが大切と言われています。
友達との関わりの中から培われるものは多くあります。
よく遊ぶという点だけは合格ラインにいる息子ですが、そこから何を学んでいるやら。
大きな飛躍へとつながってくれればいいのですけれど… confident

 

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