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2015年1月

とぐろを巻くのは蛇だけではない

これは、いたって真面目なうんちのお話です。

とある休日の午後。
家族でお茶を飲んでおりましたときのこと。
森永のマッシュボンというお菓子がお気に入りの次男です。
ラズベリー味のマシュマロにチョコレートをコーティングした、小学男子にはもったいないようなちょっとオシャレな雰囲気のこのお菓子を指でつまんで言いますには、
「ね、この形、うんちみたいだね」
ゲラゲラとひとしきり笑ってから、ぱくっと一口。
満足の顔。
ものを食べながらの会話として不適切なのは承知の上ですが、そこから「うんちマーク」の話になったのです。

「だって、実際うんちがそんな形になることってないのに、あのソフトクリームみたいにくるくる巻いた形を、誰もがうんちだって認識するんだよ。
それってすごく不思議なことじゃない?」

「だれがうんちをあの形に決めたんだろう?」

謎は深まるばかりです。
私の世代でうんちといえば思い出されるのはなんといっても『Dr.スランプ』なのですが、うんちマークのルーツはもっともっと古い時代にさかのぼるに違いありません。
Wikipediaによりますと、1971年のとりいかずよしの『トイレット博士』という漫画が始まりだと言われているらしいのですが、しかし古くは、日本では『餓鬼草子』(鎌倉時代)にとぐろ状のものが、ヨーロッパではベルナール・ピカール(1673~1763)が描いた『調香師』の絵にとぐろを巻いたそれが描かれている、のですとか。
うんち=とぐろを巻くという発想があったのはかなり古くからで、しかも日本だけにとどまらないようです。
でも、なんであの形なのでしょうか?

「あんな形になることってないよねー?」
もう一度同じ言葉を繰り返したその瞬間、私の脳裏をよぎるものがありました。
あ!と心の中で声を上げると同時に、次男の声がします。
「あるよ!ぼく、あったよ」
そうだった。
確かにあったよね!
「おかあさん、写真撮ってた!」
そう。あんまり珍しいので撮ろうとしたけれど、思い直してやめたわ。
だって、モノがモノだけに、写真撮るなんて悪趣味だもの(^^;)
あれは、次男が3つになったかならないかの頃でした。
トイレに行くのに「うんち!」と周囲に宣言しては、ものものしく大人に付き添われて旅立ち、その後しばらくして「出たー」の一声にまたまた大人が馳せ参じる。
そんな懐かしい時代の話です。
「出たー」の合図にいつものようにトイレに駆け付けた私がその日目にしたのは、見たこともないモノでした。
え? なにこれ? と目を疑うほど完璧な形の、それがそこにありました。
便器の中に。
「これは! すごいよ!!」
騒ぎを聞きつけてやって来た長男と私が二人して大絶賛の嵐を吹かしていた中、一人キョトンとしていた次男。
本人が覚えていたとは驚きですが、とにかく!
あるのです。
私もうっかり忘れていましたが、くるくる巻いたうんちというものは、存在するのでした。

いくつかの便秘解消のサイトなどを見て分かったのですが、とぐろを巻いたうんちというのは、まさに理想なのだそうです。
便の形状は中に含まれる水分の割合で決まるそうで、もっとも望ましい水分量を含んだ便が十分な量あれば、しっかりした腸の押し出し運動により、きれいな「とぐろ巻き」になるはずだそうです。
そのような理想的なうんちは、理想的な腸内環境によって作られるということですね。
まさに、健康は究極の美を生み出すということにほかなりません。

 

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小言

お昼までまだ小一時間ある!
というわけで、車に乗りいつものスーパーへ買いものに出た。
このあたりでは人気のスーパーなので、さほど広くない駐車場はいつも混み合っている。
いっぱいだったら、第2駐車場にまわらなければならない。
入り口の表示は空車となっていても、タッチの差で埋まってしまうこともあり、中に入ってみなければ空きがあるかどうかは分からない。
どうか空いていますように!と念じながら全体を見渡すと…
あった!
ラッキーなことに1台分だけ空いている。
よかった~ 今日はツイてるわhappy01
買い物をしたらお昼までに帰りたいので、すぐに車庫入れしたかったのだが、隣にとめた車の人が大きくドアを開けて荷物を積み込んでいる最中だった。
しばし待つ。
ずいぶんたくさん買い込んだ模様で、手間取っている。
若いパパとママと子ども。
オシャレに気を配り、イケてる若者ふうのすましたパパ。
慣れないながらも一生懸命と言った感じの初々しいママ。
その二人の周りを、愛情いっぱいに育てられたと思われる2~3才の子どもが、ちょろちょろと走る。走る。走る。
走る?
…って、危ないじゃない?
あんまり時間がかかっているので、ちょっとプレッシャーかけようと(←そんなに悪気はなかったんですぅ~)
ブレーキを踏んでいた右足を放してみたそのタイミングで、ちょろ子どもが私の車の前に走り出た。
慌ててまたブレーキを踏む。
あ~ コワいsweat01
やっぱりじっとしていよう…
でもドッキリしたのはどうやら私一人のようで、パパもママも荷物に気を取られ全く気付いていない様子。
さすがに私も、そのことにはびっくりした。
あのねー、あなたたち、いったいどうなってるの?
なんで親が二人もついてて、どちらも子どもの手を引かないの?
なんで荷物を載せるより先に、子どもを車に乗せないの?
駐車場は危ないところだと、子どもに教えなくていいの?
ずいぶんゆっくりしているけれど、私がさっきからずっとここで止まって待っていること、全く気にならないの?
今どきの若い人ときたら…というフレーズがごく自然に口から出そうになったとき、そんな自分にはっとする。
「若い人」のくくりから完全にはみ出している自分を発見。
まぁ、そうよね、40代と言ったら、冷静に見て中年ですもの。
「若い」世代は卒業よね。
こんなところにコソコソ書いてないで、その場で本人たちに面と向かって言えるようになったら、私も本物だわcoldsweats01

 

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夜空を見上げて ~ひとりごと~

「あ、オリオン座!」
習いごとの帰りに、空を見上げて小4・次男が指をさす。
「冬の大三角ってどれ?」
時刻は午後7時前。
遅い時間でもないが、すっかり夜の空である。
手に持っていたスマホでスマートステラという星図表示アプリを起動し、しばし親子で星空観察。
キンと冷えた空気も心地よい。
束の間ではあるが、ゆったり気持ちをくつろげる時間であった。

星空を見上げていると、ふと幼い日の記憶がよみがえる。
父の運転する車に乗った私たち。
助手席には母、後部座席に兄と私。
夜のドライブでは、リアガラス越しに空を見るのがお気に入りだった。
今のようにシートベルトが義務付けられていなかったので、二人とも靴を脱いで後ろ向きに座り、座席の背もたれにつかまって窓から空をのぞく。
そのとき私は大発見をしたのだった。
車がどれほど走っても、お月さまがついて来る!
曲がり角を曲がっても、それでもやっぱりついて来る!!
狭い車内で子ども二人がキャーキャー騒いで、それはそれはうるさかったに違いないのに、父も母も叱ることはしなかった。
40年かそれ以上も経った今でも鮮明に覚えている。
懐かしい。
思えばあの頃は、なんの恐れも不安もなかった。

悲しみは月に似ている。
心が傷を負うと、いくら振り払おうとしてもその感情は付きまとう。
自分自身が忘れているつもりでも、悲しみは一定の距離を保ちながら追いかけてきて……
振り返ると、そこにいる。
いつか月の呪縛から逃れられる日は来るのだろうか。

“悲しみと苦しみは、やがて、思いやりの花を咲かせる”とは、ヘレン・ケラーの言葉だ。
そう、この世に無駄なことなどない。
どんな経験からも、人は学ぶことができる。
今はそれを信じたい。

 

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義母さまの不思議な世界

買い物から帰ると、ダイニングで不機嫌な顔をした高校生の長男と出くわした。
どうやらおばあちゃんとニアミスしたらしい。
「オレがトイレから出たらね、ばあちゃんがそこに来てさ…
ぅわああぁぁああぁ~sign03 はー、びっくりしたcoldsweats02
…とかやるんだよ。
どーなんだよ、あのオーバーリアクションは!angry
ひどく気分を害したらしい。
わかる。
それ、お母さんも今までに100回くらい、やられているから gawk
他愛もないことなのだが、例えばキッチンの入り口で出会い頭に義母から「ひいぃぃぃいぃ~sign03」と悲鳴を上げられる。
その様子ときたら、昔どこかで見た楳図かずおのホラー漫画を思わせる。
こうして文章にすると使い古されたギャグのようで、わざわざ取り上げるほどの価値もないつまらない話だ。
しかし、これは実際にやられてみると分かるのだが、たいへんに不快である。
驚いた義母の悲鳴と馬鹿げたリアクションに逆にこちらが驚かされ、滑稽を通り過ぎてただ呆れ、言葉を失うばかり。
そして、なんとも腹立たしい。
こちらの自尊心を微妙に傷つけられる。
だいたい、家の中に家族がいたからって、なにをそんなに驚かなくてはならないのか!?

この義母の反応は、言ってみれば、癖のようなものである。
最近急に始まったということなら、認知症の幻視を疑うところだが、義母はずぅーっと前からずぅーっとこんな風なのである。
長男や次男が小さいころは、そんなおばあちゃんの反応を面白がって、わざと隠れて待ち伏せしては、さんざんおばあちゃんを騒がせて遊んでいた。
思うに、あれでよけいに勘違いしちゃったのよ!
子どもたちにウケることで、それが好ましい行動だと、脳の深層部に刷り込まれてしまった… とかね。
だから長男よ、大きくなったあなたが、そんなおばあちゃんに腹を立てても、半分は自分のせいなのよsmile

それにしても、義母がこの真に迫る茶番劇を相手を選ばず繰り広げるのには、本当に閉口している。
実の息子である私の夫にも同じことをやってのけ、どれだけムッとされていることか。
気が付かないのが不思議である。
周囲の状況や相手の気持ちが目に入らないほど、視野が狭くなっているということなのだろう。
改善の見込みはなさそうだ。
夫や長男には「やり過ごしなさいね」と軽く流しつつも、いざ自分がその場面に遭遇してしまうとやはり顔色が変わってしまうのは、いかんともしがたいところである。

 

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メタ認知

フィギュアスケートの世界王者、羽生結弦選手。
「壁の先には壁しかない。
 課題が克服できたら人間は欲深いものだから、それを越えようとする。
 僕は多分、人一倍欲張り。」
年末の全日本選手権で3連覇を成し遂げた彼の言葉である。
あぁ、なんと素晴らしい!
我が子に聞かせたいわ…
我が子ときたら、高い壁のどこかには「どこでもドア」が隠されている とでも思っているに相違ないのだから…┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

羽生選手の少年ぽさの残る屈託のない笑顔。
その合い間に語られる彼の言葉や真剣な眼差しには、強い意志と飽くなき向上心、謙虚でありつつもスケールの大きい真っ直ぐな人柄が感じ取れる。
彼ほど、メタ認知能力の高い人はいないと思う。
メタ認知とは、心理学で「認知の認知」と言われ、人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること(Wikipediaより)。
「メタ」とは「高次の」という意味であり、メタ認知とは、知覚・記憶・学習・言語・思考など何らかの認知行動を実行している自分に対し頭の中で働く「もう一人の自分」のようなものだ。
つまり、自分の中のもう一人の自分が、自分のしていることを客観的に把握してモニタリングし、自分をコントロールしていく力が、メタ認知能力である。
逆境にあろうとも、はたまた栄光の頂点にあろうとも、いかなる状況の中でも冷静に前向きに自分の目標を見据えている羽生選手は、このメタ認知能力が飛び抜けて優れていると言えるだろう。
これこそが、彼の持つ本当の強さなのではないだろうか。

現在、尿膜管遺残症で療養中とのことだが、今シーズンはGP中国大会での事故もあり、ここらでゆっくり休んで、あせらずじっくり療養してほしい。
といいつつも、一ファンとしては3月に行われる世界選手権が気になるところだが、もし欠場ということになっても、また来シーズンには氷上を華麗に舞う彼の姿を見られることを楽しみに、こちらもメタ認知ではやる気持ちをコントロールしながら、羽生選手の回復を祈るのである。

 

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