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吸い寄せられるような偶然を運命と呼ぶのだと思う

それは思いがけない出来事であった。
主人のおともで訪れた病院で、ばったり友人に出会ったのだ。
たくさんの人が行き交う総合病院のエントランスホールで、まるで待ち合わせでもしていたかのように自然と視線が合う。
あれ?
まさか!
6~7年ぶりの偶然の再会に、思わず顔がほころぶ。
が、待て。
ここは病院。
そういえば、彼女からもらった今年の年賀状には「闘病」の文字が記されていた。

ここ数年は、連絡をとっておらず、それこそ年賀状だけのつながりだった。
病院近くの薬局で主人の薬が出るのを待つ間のわずかな時間に、私たちはものすごい勢いで話した。
お互いに話すことがいろいろありすぎて、話題は飛ぶ飛ぶcoldsweats01
短い時間では説明が追いつかず、言葉の足りないやりとりではお互いに細かいところまでよく伝わっていなかったと思う。
それでも、できるだけたくさん、話をした。
過去の記憶の引き出しを開ければ、説明の足りなかったところはだいたい推測で補うだけの情報が入っている。
おそらくあちらも、私の大雑把な近況報告を彼女なりの理解でアレンジし、頭の中で再現していたと思う。
別れ際はとても名残惜しく、ぜひ続きをまた話そうと約束して、それぞれ帰宅の途についたのだった。

本当にとても楽しかった。
素敵なハプニングだった。
でも同時に、言葉にできないある感情が私の中に渦巻く。
彼女の笑顔が目に焼きついていた。
あの笑顔の裏に、どれほどの涙があったのだろう。
そしてよみがえる自分自身の記憶。
消灯時間を過ぎた暗い病室。
目を閉じると浮かんでくる子どもたちの顔。
不安と恐れと哀しみの入りまじった匂い。
検査のための入院だった。
いくつかの病気が疑われ、その中には命にかかわる重大な病もあった。
やがて検査の結果が出た。
特に異常は見つからなかった。
やっぱりね~smileとすぐにまたいつもの調子に戻った私。
だけど、彼女の場合は見つかったのね…
見つからずにいるより、見つかってよかったのだ。
見つかったから治療ができる。
現に経過もいいようだ。
「元気なのよ」と彼女は何度かつぶやいた。

生きているといろいろある。
この世に生を受けてから最期のときがやってくるまで、人は生きている。
病気になることも生きるうちだ。
その人がどんなにいい人でも、そんなことはおかまいなしに病気はやって来る。
人間は弱いから、病魔に襲われたら神様も仏様もお医者様も家族も友達も、力をかりられるものは総動員して闘う。
味方の多い人は幸せな人だ。
それでもその闘いの決着は運命に決められてしまうこともある。
なにをもってして運命というのか とか、運命は変えられるのか とか、議論の余地を残す言葉だが、今表現するのにこの言葉が一番ぴったりする。
本人の意志や努力だけでは動かせないもの。
それが運命。
あるいは偶然の重なり合い。
名医に巡りあうのも、薬や治療法が功を奏するのも、その人の運かもしれない。

大きな病気をすると、失うものがあったり、生き方が変わったりする。
それも人生のうち。
失うかわりに、得るものもきっとある。
他の人がしていない経験、新しい視点、新しい考え方。
たとえ病気をしなくても、よくもわるくも人間は変わりうる。
どんな人生を送るかは、結局その人次第なのだ。
今、自分が元気で子どもたちのそばにいられることの幸せをかみしめつつ、彼女が健康を取り戻すよう願わずにはいられない。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

病気ばかりはホントに難しいですね。
頑張ればならないというものでもなく…
こんなにいい人なのになんで?
あんな頑張ってたのにどうしてよ。
自分のまわりでいろいろあるといろんなこと考えますね。
毎日いろんなことあるけど、ほんとですね。
子どものそばにいられる、一緒に笑ったり怒ったりできるのって幸せですね。

投稿: ところん | 2014年1月11日 (土) 19時09分

わけもなく、ふっと思い出すことが重なって、会いたいなーと思っていると、ほんとに偶然に会えたりして、とっても嬉しかったりしますよね。
やっぱり吸い寄せられてるとしか思えませんよね。

短い時間でも、さぼてんの花さんの思いは、きっとお友達にも通じて、
再会できたことを喜んでおられると思います。
それがまた、励みになって、お体も良いほうへはたらいてくれるといいですね。

投稿: クー | 2014年1月11日 (土) 19時43分

ところんさん、コメントありがとうございます。
人は(私は かなcoldsweats01)欲張りなもので、つい多くを求めてしまいます。
自分が手にしている幸せが見えなくなったら、それはとても不幸なことだと思います。
家族がそろって笑ったり怒ったり。
それがなによりですよねconfident


投稿: さぼてんの花 | 2014年1月11日 (土) 20時54分

クーさん、コメントありがとうございます。
本当に。
どうやってもそんなうまくいくはずないような不思議な展開ってありますよね。
やっぱり運命の糸で、吸い寄せられているんでしょうか!?

友人には本当に元気になってもらいたいです。

投稿: さぼてんの花 | 2014年1月11日 (土) 21時00分

病気になりたくてなる方はいないと思います。病気になり病気の治療を行う(病気と闘う)こともあろうかと思います。 病気になったり、大切なものを失って初めて気づくことも多々あります。科学的ではありませんが運命というのがあるのかも知れません。でも1度きりの人生です。自分でやれる範囲で変えていけば良いのだと思います。

知人との再会、お互いの近況を報告しながら、自分のこと相手のことを知りたい知って欲しいと思ったかも知れませんね。 やはり人は人との関わりの中で生きていると思うのです。

投稿: omoromachi | 2014年1月12日 (日) 00時22分

omoromachiさん、コメントありがとうございます。
運命ってあるのでしょうか。
科学的根拠はなくても、あれは運命に導かれたのでは?と思う出来事が何度かありました。
そういうときは妙に勘が働いて、あれよあれよと言う間にどんどん物事が進んだりして。
ふだん優柔不断なのにそういうときはなぜか確信をもっていたり。
別に運命論者というわけではないんですけどcoldsweats01
不思議なことってありますね。

そうですね。
だれしも自分の人生は自分が主役。
運命と言うものがあるとしても、自分の人生は自分で作り上げていけばいいのですね。
そして、人は人と関わるから「人間」。
せっかく再会できたので、これからもこの友人と親交を深めて行きたいと思いますconfident

投稿: さぼてんの花 | 2014年1月12日 (日) 21時10分

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