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わからんちん

話せばわかる と思ってこれまで生きてきた。
どんな相手でもじっくり腹を割って話せば通じると。
だが、それは幻想だった。
現実には、「わかる人にはわかる」だ。

もちろん、じっくり話すことで「わかる人」のエリアを拡大することは可能だ。
だがそれは、初めから相手が話せばわかってくれる人であるからだ。
中にはどう話してもわかってもらえない人が存在する。
そういう相手と分かり合うということは、残念ながら不可能だ。

そういう相手と不幸にも出会ってしまったときは、できたらスッと通り過ぎたい。
しかし、それができないしがらみを背負ってしまったときほど、我が身の不運を恨めしく思うことはない。
どれほどわかりやすく、ていねいに、礼を尽くして親切に説明しようとも、不毛な結果となる。
なぜわからないのか。
通じないことへのなんともいえないもどかしさ。
自分の無力さ。
相手への侮蔑。
やり場のない憤り。
・・・・・・・・・
さまざまな感情が渦巻いてカオスを形成し、思考を支配する。
まさにストレスが極限に達した状態である。
それだけで体調不良を来たしてしまうほどだ。

なんとかならないものかといくら考えをめぐらしても、相手をなんとかするのは無理であり、結局は自分がなんとかするしかない。
我が身にふりかかる災いを最小限にくい止めるために、平和にやりすごす方法。
将来起こりうる大きなトラブルを未然に防ぐための布石。
一つ賢くなって立ち回るしかない。
疲れるなぁ~ 
ため息とともに目を落とすと、愛猫と目が合う。
ネコは言葉なんか話さないのにね。
話さなくたって通じるのにね。

結局、コミュニケーションは言葉じゃなく心なのだ。
私たちは言葉というものに頼りすぎているのかもしれない。

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