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2013年6月

ちゃんとやれ~!

家族の洗濯物を洗濯機に放り込みながら、
あー また!靴下裏返しになってるannoy
パンツとズボンの重ね脱ぎannoyannoy

掃除機かけながらトイレのドアをあけると、
床にころがったペーパー芯annoy
脱ぎ散らかされたスリッパannoyannoy

その流れで玄関へ・・・
大小さまざまな靴が入り乱れannoy
置き去りになった遊び道具annoyannoy

そう、ここにいるのは不機嫌な私。
眉間に刻まれたしわ。
への字に曲がった口もと。
ふぅangrydash
ため息。 というか、鼻息。

いかんいかん!
鏡をのぞきこみ、眉間のしわを伸ばす。
口の両脇に人差し指をあて、きゅっと上に持ち上げてみる。
しわは、せめて笑いじわだけにしたいなぁsweat02
などとやっているうち、ふと思う。

新婚の頃、主人のパンツを洗濯するのがうれしかったっけ。
丸めたシャツもひっくりかえった靴下も愛おしく、
しょうがないなぁ 子どもみたい~heart04
いそいそ洗濯していた若かりし日の自分。
やがて洗濯物にベビー服が加わり、
汚されても汚されても、何度でも洗濯するのが喜びだった。

十数年という時が流れたとはいえ、
我ながら、同じ人間か?と思うほどの変貌ぶりcoldsweats01
イライラするのは女性ホルモンの変化によるものかも?
とか、そういう年齢的な事情を差し引いても、
家族に腹を立てるのは、家族のせいというよりも私自身が変わってしまったのだ。
同じような日常をくり返すうちに、幸福だと感じる尺度がずれてきてしまったのだ。
慣れとはおそろしい。

初心に帰ることも必要・・・と殊勝な気持ちで息子の部屋へ。
なにげなく漢字の書き取りノートを手にとって見る。
目に飛び込んできたのは、なぐり書きの文字。
漢字の学習とはとうていいえないようなひどい文字。
・・・・・・・・・・・
幼稚園に入った頃はひらがなもまともに書けなかった子が
3年生になった今は漢字を書くまでになったのだものね。
・・・・・・・・・・・
きっと急いで書いたのよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
急いでいても、言われたことはやったわけだし・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ええ~い ちが~う!
そうは問屋が卸さない。
叱咤激励も母親の務め。
だよね。やっぱり。


 

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あたりまえ

あたりまえにしていること。

毎日三度のごはんを食べる。

水道から水が出る。

逆にまわせばお湯も出る。

自由に電気が使える。

必要なものを買う。

子どもが学校へ行く。

元気に仕事ができる。

笑顔で会話ができる。

安心して眠る場所がある。

なんだかんだで忙しくしている。

ときには愚痴がこぼせる。

機嫌が悪いときに八つ当たりする。

また仲直りできる。

いつもの日常が繰り返される。

あたりまえってなんだろう?

ほんとにあたりまえなんだろうか。

いえいえ、それは幸せなことconfident

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おとぎばなし

買い物に出た車の中で、小3になった息子が唐突に語りだす。
「ぼくはね、3000年前には天使だったんだよ」
「え?なに?前世の話?」
マンガかゲームかなにかの影響かしら~と話を合わせていると、今度は
「それでね、天使になる前はねずみだったんだ」
「ふ~ん、ねずみ! いつの話?」
「5000年くらい前かな。ねずみだったけど死んじゃって天使になったんだ~」
「ずいぶん長生きだね。ねずみは2000年も生きられないんじゃない?」とつっこむと、
「ぼくはねずみだったとき、人魚の肉を食べたんだ。だから2000年生きたんだよ」
そういえば、そんな伝説があったっけ。
人魚の肉を食べると不老不死になるとか。
即興で作った空想話としてはなかなかの仕上がりね~happy01
息子がファンタジー好きとは今の今まで知らなかったが、なにやら楽しげな空想が繰り広げられていたらしい。

泣いたり笑ったり怒ったりすねたり喜んだり・・・
子どもは毎日いろんな顔を見せる。
くるくる変わる表情に親はつい振り回されてしまうけれど、あらためて寝顔を眺めると、赤ん坊の頃から見慣れたいつもの息子の顔。
この子の中には、いろんな世界が存在する。
その時々で外に現れているものは変わっても、それはすべてこの子の内なる世界から出てくるもの。
人間ってすごいね。深いね。

この先、この子は何を手に入れ、何を考え、どんなものを紡ぎだしていくのだろう。
小さな身体に秘められた無限の夢や可能性に触れ、いつか現実となる未来に思いを馳せる。
ねずみや天使にはならないとしても、将来偉大なストーリーテーラーになったり・・・ もしないか~smile
いやいや、相変わらずの親バカぶり。

 

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親子の遺伝子

私と母はあまり似ていない親子だった。
子どもの頃はずっとそう思っていたし、母もそう思っていたと思う。
それが、二十歳を過ぎた頃だろうか、
「(顔が)お母さんに似てきたね」と人から言われるようになり、
アラフォーとなった今では、
「後姿なんかお母さんにそっくりだよ」と主人に言われるほどである。

そういえば、母に似てきたのは顔や姿かたちだけではない。
やることや考え方まで母に似てきたように思う。
家事をやりながら、あるいは、だれかとおしゃべりしながら、
あら? 私、母みたいなことしてるわ~
と、ふと気付くのである。
結婚して実家を離れてからこのような変化は起こったように思う。

そしてまた同じことが主人の身にも起きている。
主人と父とは全く似ていない親子である。
妻である私の目から見て、ほんとに全然似ていない。
それが不思議なことに、義父が他界した三年前から急に、
「お父さまにそっくり!」と人から言われるようになった。
そっくりだと言ったその言葉には、今まで気付かなかったけど似ていたのね!という驚きがこめられている。
それまで同居していた父があの世へ旅立ち、距離ができたことが親子の遺伝子の封印を解いたような気がしてならない。
この先、主人はじわじわと義父に似ていくのであろうか。
成り行きをしっかりと見届けたいeye

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わからんちん

話せばわかる と思ってこれまで生きてきた。
どんな相手でもじっくり腹を割って話せば通じると。
だが、それは幻想だった。
現実には、「わかる人にはわかる」だ。

もちろん、じっくり話すことで「わかる人」のエリアを拡大することは可能だ。
だがそれは、初めから相手が話せばわかってくれる人であるからだ。
中にはどう話してもわかってもらえない人が存在する。
そういう相手と分かり合うということは、残念ながら不可能だ。

そういう相手と不幸にも出会ってしまったときは、できたらスッと通り過ぎたい。
しかし、それができないしがらみを背負ってしまったときほど、我が身の不運を恨めしく思うことはない。
どれほどわかりやすく、ていねいに、礼を尽くして親切に説明しようとも、不毛な結果となる。
なぜわからないのか。
通じないことへのなんともいえないもどかしさ。
自分の無力さ。
相手への侮蔑。
やり場のない憤り。
・・・・・・・・・
さまざまな感情が渦巻いてカオスを形成し、思考を支配する。
まさにストレスが極限に達した状態である。
それだけで体調不良を来たしてしまうほどだ。

なんとかならないものかといくら考えをめぐらしても、相手をなんとかするのは無理であり、結局は自分がなんとかするしかない。
我が身にふりかかる災いを最小限にくい止めるために、平和にやりすごす方法。
将来起こりうる大きなトラブルを未然に防ぐための布石。
一つ賢くなって立ち回るしかない。
疲れるなぁ~ 
ため息とともに目を落とすと、愛猫と目が合う。
ネコは言葉なんか話さないのにね。
話さなくたって通じるのにね。

結局、コミュニケーションは言葉じゃなく心なのだ。
私たちは言葉というものに頼りすぎているのかもしれない。

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