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2012年7月

現実~この手ごわきもの~

現実に目を向けろ とか、
これが現実なんだ とか、
現実というものはたいへん厳しいものらしい。

現実というのは、夢でも幻でもない、事実で埋め尽くされた世界であり、たったひとつのゆるぎないものというイメージがある。
マスコミで報じられるニュースは紛れもなく現実の出来事であり、それを共有することで個人は現実社会の一員であることを自覚する。
また、現実社会の時間的な連鎖が歴史や文化、風習を生み、社会の構成員としての個人の生活に影響を与えている。

現実というやつは、圧倒的な支配力を持つ強大なもの。
そう思ってきたが、最近違う側面があることに気が付いた。

ツィッターに代表される流行りのSNSを覗いてみると、そこには現実があふれている。
今この瞬間に、泣いている人がいる。
笑っている人もいる。
あくびをしている人もいれば、食事をしている人もいる。
それぞれの人がそれぞれの状況の中で生きている。
その一つ一つの現実が、まさに同時進行しているのである。

考えてみれば、個人を取り巻く現実というのは一人一人違う。
10人いれば十通り、100人いれば百通りだ。
学校で隣の席にすわっている同級生だって、家に帰ればそれぞれの家族がいて違った日常が送られる。
また、同じ家族の中でも子どものおかれた現実と母親のおかれた現実とでは全く異なっている。
同じ場に居合わせ、同じものを見たとしても、それぞれの主観的現実が同じとは限らない。

そんな小さな現実が時に共鳴しあい、時に衝突し、なんらかの形で結びつき、絡み合って、大きな波を作り出す。
言わば、ぶどうの房のような構造の集合体が現実というものなのではないか?

・・・などと小難しいことを考えていくうち、ふとSNSでのつぶやきがすべて事実であるという確証もないことにも気付いた。
ネットの世界が仮想現実であることも無視できない現実なのであり、この現実論は考えれば考えるほどややこしく泥沼にはまっていくのあるwobbly

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