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2011年4月

とおりゃんせ

自分は今、岐路に立たされている と思うことがある。
何かの選択を迫られているときだ。

たとえばAとB、ふたつの選択肢があった場合、
Aをとればどうなる?
Bをとればどうなる?
Aをとらなかった場合の損失は?
Bをとらなかった場合は?
それぞれのメリット、デメリットのバランスは?
ふたつを両立することはできないのか?
あるいは、ほかの選択肢はないのか?
・・・・・・・・・・・・

つい、考えすぎてしまう。
考えすぎるあまり、わけがわからなくなってしまう。
結局、なんとなく… という非常にあいまいな理由で答えを出す。
そしてあとから思うのだ。
「あのとき、ああしておけばもっと違う道があったかもしれないのに」
これが私の、優柔不断の構造だ。
AとBのどちらを選んだとしても、
もし違う選択をしていたら… という思いが常に心のどこかにある。

先のことは分からない。
だから慎重になる。
行きはヨイヨイ、帰りはこわい という歌もあるが、
実は帰りなどないのだと思う。
壁に突き当たって引き返したとしても、それは前進だ。
くるりと向きを変えての前進なのである。
試行錯誤し、同じところをぐるぐる回ってスタート地点に戻ることも、
予期せずして近道を通り、ゴールが目前に見えてくることも、
どちらも同じように前進したのだ。
人生は最短コースばかりでなく、必要な回り道や休息もあるのだから。

人生の岐路などというと大げさな響きがあるが、
岐路なんてものはどこにでも転がっているありふれたものなのかもしれない。
その日の朝なにを食べたかで、その日一日が全く違うものになるということだってある。
あの日あの時、あの人に出会ってしまったことがその後の人生を変えた などという、小説の中のようなできごとが実際に起こらないとも言い切れない。
そう考えると、何が偶然で何が必然かということも非常にあやふやになってくるが、
とにかく、自分が意識するしないにかかわらず、人生が変わっていくポイントは日常的に存在する。
だから、必要以上にこわがらないことだ。
目の前の道を、まずは一歩進んでみよう。
さあ、今、この道を、
とおりゃんせ とおりゃんせnotes

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