流れゆく時の中で
時は過ぎ行く。
ふと怖くなる。
時の流れには情け容赦がない。
今は次々と過去になる。
過去は記憶の中のもの。
忘れてしまえばすべて消えてなくなるのか。
後世に名を残そう とか、人々の記憶に残りたい とか、
人は自分の生きた証を残したいと願う。
しかし、そのような大事を成し遂げることのできる人はほんのわずかだ。
地球上の長い歴史の中で、どれほどの生命が生まれ、そして消えていったことか。
人間だけではない。
動物も植物も、魚も虫も、今は絶滅した恐竜も。
生命と生命が関わり合い、偶然も手伝って、なにかしら新しい展開が起こる。
その中のひとつひとつに目を留めれば、いいことばかりでなく悲劇もあっただろう。
しかし、そういったことが無数に積み重なって歴史は作られてきた。
ひとつの生命が精一杯生きることが、世界に繁栄をもたらすと言ってよい。
だれが知っていようといまいと、そんなことは本来どうでもいいことなのだ。
私たちはふだん気づいていないが、自分の行動は常に周囲になんらかの影響を与えている。
ある行動をした場合の周囲の反応と、しなかった場合の周囲の反応は全く同じではないはずだ。
同様に、自分の行動は自分自身をも変えていく。
何もしなくても、それは何もしなかったという経験を一つ積んだことになるのだ。
今の自分が確実に未来を変えていく。
たとえ誰の記憶に残らずとも、その未来を変えた功績とも呼べる事実は消えない。
その上にまた新しい歴史が築かれていく。
だからこそ、何をどのように行うのか、あるいは行わないのか、ということはたいへん重要になってくるのである。
・・・というわけで、ちっぽけな存在のあやうさなどどこぞへ吹き飛ばし、
今日も力強く生きてまいりましょう!
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