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抜け殻を哲学する

セミたちの季節がやってきました。
ふと気付くと、木の枝や葉っぱのあちこちに、抜け殻がひしっとしがみついています。

思えば抜け殻って不思議な物体です。
少し前まで確かにそこに命が宿っていたのに…
外見はそのまま完全な昆虫の姿でありながら、実体がない
でも死んでいるのとも違う…

ひとは大きな悲しみにあったとき、呆然として魂が抜けたようになる。
それを、「抜け殻のよう」と表現しますが、これは心と体がバラバラになりうまく機能しない状態のことです。
心の働きこそが人間の実体であり生きる根源につながるという意味では、うまい表現であると思います。

そこまで考えて、ふと気付きました。
抜け殻のようになったひとは、やがて自分を取り戻すときがやってきます。
しかし、セミの抜け殻には復活はないのです。
セミの抜け殻は、過去の軌跡です。
脱皮して成虫となったセミの、かつての姿。
かつては息づき生命力あふれていたそれは、今や過去の中に埋もれ、風化していくもの。
思い出の中にのみ留まり、時を刻むことのない存在。

セミの抜け殻のからっぽの目をのぞくと、そこには小さな別世界が見えるような、不思議な錯覚にとらわれました。
角度を変えてのぞくと無限の世界が広がる、鏡の中の世界のように…。

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